ぼちぼちでええやん。

人の動きについて根っこから理解したいと思ってます。シンプルラーニング提唱者、キネステティク理事、YOUTUBE「楽な動きの学習会」ブログは癖が強い記事が多めです。

可動域訓練の対象として相手を見るのではなく

一般の理学療法作業療法の時によく関節可動域訓練をします。

 

関節可動域訓練とは、ざっくり言うと固まった関節の可動域を広げるために動かすアプローチです。

 

セラピストによって、しない人もいるけど、大半の病院ではしてると思います。

 

今回はそれがいいのか、悪いのかという話ではなくて、僕達は相手を捉える時に、自分がしてる事が、とっても影響してますよ。というはなしです。

 

例えば

関節可動域訓練をしようとすると

相手を関節を広げる対象としてとらえる

 

筋トレを、しようとすると

相手を筋トレの対象としてとらえる

 

何らのテクニックをしようとすると

相手にそのテクニックをする対象としてとらえる

 

もう一つ

 

何らの考えで関わると

相手を、その考えを当てはめる対象としてとらえる

 

と、あまり言いたい事が伝わってないかもしれません。

 

ここで言いたいのは、相手に何かをしようとする行為をすると、

 

本来、相手は人としての豊かさを持った存在から、1つの対象としてのみ捉えられてしまう。

 

そのようにとらえると、その人の捉える幅がいつのまにかとっても狭くなっている。

 

結果、しようとすることに当てはめてしまって、本当にしてる事が見えなくなる。

 

例えば

関節可動域訓練しようとする行為が、関節と肉の塊で見てしまいます。

 

冷静に考えると、その人の腕です。腕には質感もあるし、血も通ってるし、生きてます。

今まで成長した歴史もあるし、触れてる人どうしの関係性によっても、状況によっても変わるのが腕です。そればかりか多くの人に大切にされてる腕かもしれません。

 

実際触ってるのは、いくら関節可動域訓練をしようが、単なる骨や肉の塊ではなく、その人の生きる豊かな腕です。

しかし、いつのまにか、自分のしてることが、自分にフィルターをかけてしまってるのです。

 

関節可動域訓練をしようとする行為が、腕をただの骨と肉の塊のようにとらえてしまいます。

 

自分のしてることそのものが、フィルターを作ります。

そのフィルターを自分にかけて世界を狭く捉えてしまいます。

 

そして豊さを失うのです。

 

自分のフィルターを外すことができれば、同じ事をしていても、全くちがう事を感じるでしょう。

 

例えば腕を伸ばす動き1つにしても、どれだけ豊かで、濃密で、複雑な事なのかびっくりするかもしれません。

 

目の前にいつもかかってるフィルターを通してあなたは世界を見ています。

 

多くの人はフィルターをずっと付けすぎて目の前の光景が普通になっています。フィルターを付けてることさえ気づいてません。

 

フィルターを少しでも外すことができるなら、あなたの目の前の世界はまた全く違って見えるでしょう。

 

そのためには、まず自分がどんなフィルターをしてるのか気づくことです。

 

フィルターを外すには、全く今まで違う新しい体験が必要です。違う行為は、違うフィルターを作ります。違うフィルターで世界をみた時、はじめて自分が普段どんなフィルターを付けてたか気づくのです。フィルターがそこで初めてついてた事に気づく人も多いでしょう。

 

これを世間では、一般に思い込みといいます。

自分のしてる行為が、自分の思い込みを作り、今度はその思い込みで世界を捉える。いつの間にか思い込みは、当たり前や常識と言ったもの変わり、思い込んでることさえ気づかなくなる。

 

思い込みは、やはり普段と違う体験をする事で初めて気づきます。

  

フィルターが外れた時、目の前に新しい世界が広がります。あなたが普段生きてる世界はあなたが思っている以上に豊かな世界です。

 

その世界で相手の腕に関わったき、もしくは自分自身と関わった時、お互い豊だと言うことが気づくのです。そうするだけで実際、機能は改善しますし、むしろ機能改善にはこのような視点が必要なのだと思います。

 

気づき、というのは「ある」から気づけます。最初からあるのに、「ない」と思い込んでる。だから気づくことが必要なのです。

 

気づきのプロセスは今までしていたことに「ある」と気づくことなんでしょう。

最終的にマニアックな流れになってしまいました、、、笑