ぼちぼちでええやん。

人の動きについて根っこから理解したいと思ってます。シンプルラーニング提唱者、キネステティク理事、YOUTUBE「楽な動きの学習会」ブログは癖が強い記事が多めです。

不寛容は不幸をもたらす

ハラスメントとか

男女差別とか

 

もちろん言ってることは

わかるけど

 

そもそも人は生きていれば誰かに

迷惑をかけるし

 

他人と違うところが

たくさんある

 

迷惑をハラスメントだからと否定して

違いがあるから差別だからといって憤る

 

 

それでは自分が不幸になるだけ

 

少しの迷惑は許せばいい

そうしてお互いに迷惑を許しあうから

他人とともに生きて行ける

 

違いがあるから

同じにするのではなく

違いがあることを尊重すればいい

そうすることで

自分らしく生きている

 

不寛容社会は皆が不幸になる仕組みでしかない

 

少しでいい

なんでもかんでも批判するのではなく

 

許すことが

自分の幸せにつながるのだ

 

人とともに生きるために

そして自分らしく

 

意識する。言葉にする。やり方を変える。それでは動きは学べない

 

 

赤ん坊は動きを方を

言葉で、意識して、思考して

学んでなどいない。

 

私たちは

ランダムに動き

感覚を使い

無意思的に学習をしてきた。

 

私たちは

気付いたら立ち上がり

気付いたら歩いていた

 

誰かにやり方を教わったものでもないし

言葉で覚えたわけではない

 

概念とか

やり方とか

それは本質ではない

 

人の動きの根本は思考の外にあり

無意識にある

 

私たちは

無意識に学び

無意識に動いてきた

 

それを理解しないと

動きの本質には近づかない

 

言葉は確かに

動きに大きな影響はあるが

それらは半分もない。

 

youtubeで教えられることなんて

15パーセント程度にしかならない。

 

しかも言葉や思考は

私たちにとって

後付けのものでしかない

 

私たちのベースは

無意識の動きの拡張にある。

 

私たちは生まれた時から

無意識に動き、発達してきたのだ。

 

動きの学習として根本的に

無意識的に動きをどのように学ぶのかを理解しないと

 

すぐに、なんでも

言葉にして

わかったつもりになってしまう。

 

感覚を使っているつもりで

考えていたり

 

体験から学んでいるつもりで

言葉にすることが目的化してしまったりする

 

無意識の学びは

普通に学べば気づかない領域にある

 

今だってあなたは無視的に座っているし

立っている

 

今どうように背骨をコンロトールしているか

意識しているか?

 

ただ漠然と立っている、もしくは座っているだけだろう。

 

ただ、それでいいのだ。

あなたにはいちいち考えなくても

動ける能力が備わっている

それを使えばいい。

 

なんでも

言葉にして意識ばかりを使っていると

最初はうまくいくかもしれない。

 

だけど

長期的にあなたの思考や言葉は

あなたの「考えなくても動ける能力」を抑制していく。

 

なんでも考えて動くなんて不自然じゃないか。

この世の自然動物の素晴らしい動きは考えているからなのか?

そうではないよね。

 

やり方を変えたら立てるようになる?

それは本来立てる能力が隠れていただけだろう。

 

より背骨をイメージした

動けるようになる?

ほんとに?

イメージすることで

理想の自分を無理やり押し付けて

ごまかしていないかい?

 

そもそもあなたのイメージは

本当にあなたの背骨と同じなのか?

 

よい姿勢にしようとして

背中なんて無理に長くするものでなない。

そんなの気づけば無意識的にやっているものだ。

 

意識的にやるようなものではないし

意識すればするほどこじれる。

意識とは無意識は協調することはあれど補うものではない。

 

無意識は無意識で学ぶ必要があるのだ。

そこが抜ければ片手落ちもいいところになる。

 

無意識を強調したからといって

感じる重要性を訴えたからといって

神や理論や概念に入れ替えて

怪しいものには決してしたくない

 

僕は神を感じることもないし

オーラを感じることもない

なんらか理論を感じることもない

 

ただ「そこに存在する動きを感じるだけ」だ

 

無意識の学びのキーは

感覚にある

 

感覚を通じて

脳を動きのプログラムを発達させていくことができる

 

 

だけど皆無意識や感覚をよく知らないから

いつの間にか意識的にやってしまうことで

感覚の邪魔をしてしまっている。

 

感覚は言葉にできない

感覚をどう言葉にしようが

言葉にした時点で

それは意識的になり思考になり概念になり

 

感覚の本質削ぎ落とされてしまう。

 

繰り返しいうが

「感覚は言葉にできない」

 

重いとか、固いとか言葉で表現すると

情報はとたんに抽象的になり

本来の感覚という情報は削ぎ落とされる

 

動きをほんとに学びたいなら

言葉にできないものを

言葉にできないままに

扱う方法を学ぶことだ

 

マジでこの世の中

方法論、概念、テクニックなどで溢れて帰っている

 

「言葉にならないこと」を学べる場がほとんどない。

 

誰しもがうまくいかない場合

やり方を見つめなおし、それを変えれば解決すると思っている。

そんなの頭でっかちだ。

 

やり方や、動き方をくら変えてもできない人はいる。

それはもうやり方や概念という領域では通用しないのだ。

 

どんなに方法を工夫しても自分で起き上がれない人もいるし

どんなにやり方を工夫しても筋肉がピクリともしない人もいる。

それが私たちの現実ではないだろうか。

 

言葉を変えるなら

言葉を変えて解決したらいい。

 

だけと

言葉をいくら変えても解決しない場合

言葉ではない問題があるのだ。

 

ちゃんと感覚と無意識を理解したとき

赤ん坊がどのうように立てるようになったか

 

言葉のしゃべれない動物が

どんな感じで動いているか

 

言葉じゃない理解で

理解できるのだ。

 

なんでも言葉にして学ぶのは

人間の悪い癖だ

 

人は言葉にすることで

この複雑な世界を少しだけでも

わかったと思い込んでしまう

 

時に神を崇めることで

時に学問に盲目になることで

時に権威を見上げることで

 

わからないものに名前をつかればわかったつもりになって安心する。

他人の言葉を自分の言葉のように使ってわかったつもりになる。

 

しかし

時に

言葉にできない学びにこそ

本質がある。

 

こんなこと書くと

怪ししいと逆に思われるかもしれない

 

だけと強調したい。

 

本当の本質は言葉では学べないし

体験した中で言葉にできないことこそが

 

私たちの

学ぼうとしていることなのだ。

 

それこそがみんなが探しているものなのだ。

 

例えば動けない人を助けたいなら

楽に動きたいのであれば

きっとそうだ。

 

宝探しっていうのは、今の自分に想像もつかないかことを探すから価値がある。

 

 

 

「言葉にできない学び」がある

言葉にしなくても

「それを援助する学び」もある。

 

きっと僕が一番伝えたいとこと

その部分なのだ。

 

そして僕だけしか

おそらく伝えられないことなのだと思う。

 

いや僕だけでない。

僕と一緒に学んだ人が、少しずつだけど伝えている。

 

周りの人に

周りの患者や利用者に

色んな実践を通じて少しずつ。だけど確実に。

 

だから実際に体験して欲しい。

自分の体で体験して、感じ、言葉にならない学びを学習して欲しいと思う。

 

テクニックとか概念とか

そいういう領域を超えていけるもの

 

きっと今までとは違う視点が広がると思うし

ずっとあった違和感に気付けるかもしれない。

 

あーコロナめ〜

こんな大切なことを伝える場を減らしやがって

 

でもぼちぼちやっていくしかないよなぁ

構造を分解しても、機能はわからない

リハビリ場面などで

動きを支援するために

筋肉を個別に覚えようとするが

それでは人の機能は見えてこない

 

パソコンに例えるとわかりやすい

バッテリーだけみても

CPUだけみて

ディスプレイの構造を深く理解しても

 

プログラミングすることはできない

 

一つ一つの構造は

それぞれが関係をもつことで

初めてどんな機能がわかる

 

それがわかった上で

どのように機能が使えばよいかが

見えてくる

 

筋肉も同じ

一つの筋肉だけみても

人の動きはわからない

 

バラバラに一つ一つ覚えても

構造には詳しくなるが

機能は見えてこない

 

教科書の筋肉は

別々に表記されて

それぞれの作用も書かれているが

 

例えば

上腕二頭筋だけが存在することは

ありえない 

 

教科書で上腕二頭筋の作用なんて書かれてるが

そんな風に個別に動きやしない

 

上腕二頭筋

さらに隣の筋肉に関係し

それらは骨と関係し

さらに脂肪や人体、内臓にも関係する

 

そこに

重力は呼吸なども大きく関わり

それらが複雑に関係することに

よって

「人は機能する」

 

構造を把握するか

機能を把握するか

 

もちろんどちらも把握できたほうがいいのだけど

どちらをメインに捉えるかは

自分が何をしたいのかによって変わる

 

パソコンの修理屋になりたいのか

プログラマーになりたいのか

 

人体の手術屋になりたいのか

それとも動きという機能を高めたいのか

 

前者なら構造の理解が役にたつが

後者なら構造ばかりみても

機能は見えない

 

後者になりたいなら

「関係性」を理解する必要がある

 

関係性を理解することで

初めて身体の使い方を向上できる

 

関係性を紐解くことで

目の前の人の動きはさらに機能的になれる

 

身体を修理することと

使い方を向上することは

全く違う分野なのだ

 

繰り返しいうが

どっちになりたいか??

 

仮にあなたが身体の機能を高めたいなら

後者の「関係性」を学ぶ必要がある。

 

人は関係性の中でしか機能しないのだから。

 

 

動画解説:【カンタンだけど超重要】起き上がりの介助の3つのポイント

 

 

今回は起き上がりについて解説しました。動画では出来るだけ簡単で実行しやすいポイントを3つ紹介しました。

 

ポイント1つめと2つめの解説

起き上がりの時、実は「手足の位置をどこに置くか」が大きなポイントになります。自分の身体に合った手足に位置にすることで、起き上がりが簡単になります。逆に自分の身体にあった場所でなけば起き上がりをすることは難しくなるでしょう。

 

ポイント1では足を曲げることをお勧めしてます。関節の可動域に問題ないのなら、下側の足はしっかりめに曲げておくことをおすすめします。(ただし無理をしてはいけません)

ポイント2では手の位置にフォーカスして解説しています。腕は自分の行きたい方向に設置すると、胴体の線路の役割になります。足に比べて手の位置の方が個人差は大きいです。

 

ポイント3つめの解説

こちらは「止まらない」ことの重要性について説明しています。起き上がり介助をしてうまくいかない時、だいたい動作の途中で止まっているのではないかと思います。途中で止まるとさらに難しくなり、より動かないという悪循環になります。その場合は少し前からやり直したほうがスムーズです。

 

なぜ、止まらないことが重要かというと、私たちの身体の構造は「弾力」があり、その弾力を生かして弾むことで動いています。途中で止まるというのは、弾む能力をうまく使えていません。弾まなれければとても不効率な動きになり、また人間の動きとして不自然になります。

 

解説は以上です。

 

よろしければ「チャンネル登録」「通知ON」よろしくお願いします。

また動画に質問やコメントをいただけると大変ありがたいです。

 

動画解説は今後もこのblogでやっていきます!

ありがとうございました。

 

ではまた次の動画で!!

 

自粛の先にあるもの

このままずーっと

自粛し続けると、コロナにはかからないかもしれないけど、それでいいのか?

 

って話になる

 

なぜ

今自粛できてるのか

というと

 

それは

過去の貯金の消費でしかない。

 

お金はもちろん

免疫だって、過去の雑菌に触れて

慣れてきたからであって

 

今みたいに消毒し続けると

免疫を使う機会がなくなり

かえって免疫は悪化するだろうし

 

人間関係も

自粛すると過去に親しい人と

主に連絡をとりあうことで

孤立を逃れている

 

zoomなんてものもあるけど

あれはただのコンテンツであって

人間関係を構築するのは

無理とは言わないが難しい

 

現に今大学はネットで授業しているが

新しく大学で友達ができた人は少ない。

 

自粛し続けるということは

過去を消費し続けること

 

これからの未来に

何も見出せず

ただただ過去を消費する毎日を送る

 

もちろん人によって

過去の貯金は違うだろう

 

だけど

自粛をずっと続けることは

不幸にしかならない

 

消費だから自粛を続けると

いずれ無くなっていく

 

お金は使い続けると無くなるのはもちろん

過度な消毒ができるのは

過去に免疫があるからだし

 

過度な人間関係の制限をしても生きていけるのは

過去の人間関係があるからだ。

 

過去の貯金がない人から

バタバタと倒れていく。

 

孤立になり

生きてる実感をなくしていく

人間関係が消えていく

 

未来を生きるためには

様々な貯金が必要なのだ。

 

過去を消費するのではなく

私たちは今ここで色んなものを得なければいけない。

 

そのためにも

人はどこかでリスクをとらないといけない

そもそもそれが生きるということだ

 

外にでなけりゃ

クルマにひかれることもないが

美しい景色、風、匂いを目の前で実感することは出来ない

 

新しい誰かに出会うこともない

 

触れ合わなければ

家族もできない

 

お金だって稼げない

 

外に出て

人に触れて

色んな雑菌に触れて

私たちは生きることが出来ている。

 

だからと言って

コロナを気にしないで生きよう!!

とか言ってるわけじゃない。

 

ただ、自粛し続ける恐怖を知ってほしい。

自粛が正解だと単純に思い続ける先には

自粛以上の不幸があることを

 

だから少しずつ

対策をしつつ

勇気を持って出かけていかなければならない。

 

仮に明日死んだらどうすんだ?

死ななくてもコロナにかからず、そのまま引きこもってりゃあホントに正解か?

 

それが生きてるってことなのか

 

誰だって人にうつしたくない

だけど

誰だって不幸になって欲しいわけじゃない

 

だからこそ

自分なりの一歩を踏む

 

馬鹿みたいに

車に飛び出す行為をわざとするのではなく

無防備に感染をあおることでもなく

 

十分な対策と

リスクを許容して

 

過去の貯金を消費するのはもうやめて

慎重に慎重に未来に向けて一歩

踏み出していく

 

そんなことが

これから必要じゃないだろうか?

 

リスクをとらず、少しずつ死んでいけば

誰にも責められることはないだろう

だけど心の奥で自分に責められる

 

このままコロナにかからなければ

色んなものを使い切って

 

それで一生終えることが

ホントにいいのだろうか?

ってね

 

リスクをとることは目立つこと

 

なぜ、そんなことをしたんだ!

と問われてしまうこと

 

それでも

やっていくしかない

それが生きるってことだから

 

自粛で人は救われない

 

明日にでもコロナが全て無くならない限り

みな少しずつ不幸になる

弱ってる人から倒れていく

 

自分はまだ貯金あるから大丈夫??

いやいや、明日は我が身だ

あと半年も自粛すると

相当不幸な人が街に溢れるだろう

 

だからこそ

今から

 

コロナがあろうが

なかろうが

どこかで抜け出すことを考えないと

人は生きれない

 

過度な自粛の先に

幸せな未来は無いのだから

 

痛みは敵ではありません。〇〇だ!!

おかげさまでYOUTUBE楽しくやっております。

登録者は少しずつ伸びていますが、少ない人数でも視聴維持率は高いので

それはそれでありがたいことです。

 

youtu.be

 

さて本日はキネステティク応用コース

 

コロナの影響で参加者は少なくリピーターがほとんですが

人間の楽な動きを学んでいきたいと思います。

 

では!!

教えるの下手だということに気づく

youtubeやり出して思うのは

自分って教えるの下手だなぁと気づきました

 

思い返すと当然なんだけども

セミナーでは参加者自身が

自ら「気づき」「発見」を

 

できるようにガイドしていただけで

あまり教えてなかったから

なのかもしれない。

 

参加者は教えなくても

状況を用意して待てば

勝手に学習していくから楽だし。

 

勘違いしてほしくないけど

教えるより、自ら気づけるほうが何倍もよい。

 

 

 

それに

ハンドリング(人に触れるスキル等)

も上手いけど(自分で言う笑)

 

物を動かすのはあまり上手くない

 

人は動かさなくても

触れるのがうまければ

勝手にいい感じに動いていくれるけど

 

物は動かさないと

自分では動いてくれないから

ちょっと大変なんです。

 

う〜ん

体験型のセミナーと

ネットは相性悪いなあ

 

もちろんYOUTUBE

すべて伝わるなんて思ってないけど

もうちょい試行錯誤してみよう。