ぼちぼちでええやん。

人の動きについて根っこから理解したいと思ってます。シンプルラーニング提唱者、キネステティク理事、YOUTUBE「楽な動きの学習会」ブログは癖が強い記事が多めです。

自粛の先にあるもの

このままずーっと

自粛し続けると、コロナにはかからないかもしれないけど、それでいいのか?

 

って話になる

 

なぜ

今自粛できてるのか

というと

 

それは

過去の貯金の消費でしかない。

 

お金はもちろん

免疫だって、過去の雑菌に触れて

慣れてきたからであって

 

今みたいに消毒し続けると

免疫を使う機会がなくなり

かえって免疫は悪化するだろうし

 

人間関係も

自粛すると過去に親しい人と

主に連絡をとりあうことで

孤立を逃れている

 

zoomなんてものもあるけど

あれはただのコンテンツであって

人間関係を構築するのは

無理とは言わないが難しい

 

現に今大学はネットで授業しているが

新しく大学で友達ができた人は少ない。

 

自粛し続けるということは

過去を消費し続けること

 

これからの未来に

何も見出せず

ただただ過去を消費する毎日を送る

 

もちろん人によって

過去の貯金は違うだろう

 

だけど

自粛をずっと続けることは

不幸にしかならない

 

消費だから自粛を続けると

いずれ無くなっていく

 

お金は使い続けると無くなるのはもちろん

過度な消毒ができるのは

過去に免疫があるからだし

 

過度な人間関係の制限をしても生きていけるのは

過去の人間関係があるからだ。

 

過去の貯金がない人から

バタバタと倒れていく。

 

孤立になり

生きてる実感をなくしていく

人間関係が消えていく

 

未来を生きるためには

様々な貯金が必要なのだ。

 

過去を消費するのではなく

私たちは今ここで色んなものを得なければいけない。

 

そのためにも

人はどこかでリスクをとらないといけない

そもそもそれが生きるということだ

 

外にでなけりゃ

クルマにひかれることもないが

美しい景色、風、匂いを目の前で実感することは出来ない

 

新しい誰かに出会うこともない

 

触れ合わなければ

家族もできない

 

お金だって稼げない

 

外に出て

人に触れて

色んな雑菌に触れて

私たちは生きることが出来ている。

 

だからと言って

コロナを気にしないで生きよう!!

とか言ってるわけじゃない。

 

ただ、自粛し続ける恐怖を知ってほしい。

自粛が正解だと単純に思い続ける先には

自粛以上の不幸があることを

 

だから少しずつ

対策をしつつ

勇気を持って出かけていかなければならない。

 

仮に明日死んだらどうすんだ?

死ななくてもコロナにかからず、そのまま引きこもってりゃあホントに正解か?

 

それが生きてるってことなのか

 

誰だって人にうつしたくない

だけど

誰だって不幸になって欲しいわけじゃない

 

だからこそ

自分なりの一歩を踏む

 

馬鹿みたいに

車に飛び出す行為をわざとするのではなく

無防備に感染をあおることでもなく

 

十分な対策と

リスクを許容して

 

過去の貯金を消費するのはもうやめて

慎重に慎重に未来に向けて一歩

踏み出していく

 

そんなことが

これから必要じゃないだろうか?

 

リスクをとらず、少しずつ死んでいけば

誰にも責められることはないだろう

だけど心の奥で自分に責められる

 

このままコロナにかからなければ

色んなものを使い切って

 

それで一生終えることが

ホントにいいのだろうか?

ってね

 

リスクをとることは目立つこと

 

なぜ、そんなことをしたんだ!

と問われてしまうこと

 

それでも

やっていくしかない

それが生きるってことだから

 

自粛で人は救われない

 

明日にでもコロナが全て無くならない限り

みな少しずつ不幸になる

弱ってる人から倒れていく

 

自分はまだ貯金あるから大丈夫??

いやいや、明日は我が身だ

あと半年も自粛すると

相当不幸な人が街に溢れるだろう

 

だからこそ

今から

 

コロナがあろうが

なかろうが

どこかで抜け出すことを考えないと

人は生きれない

 

過度な自粛の先に

幸せな未来は無いのだから