ぼちぼちでええやん。

人の動きについて根っこから理解したいと思ってます。シンプルラーニング提唱者、キネステティク理事、YOUTUBE「楽な動きの学習会」ブログは癖が強い記事が多めです。

支持性の向上=足を棒にするわけではありません

足の機能回復で誤解されがちなのが

支持性の向上という考え方だ。

 

足がふにゃふにゃなら当然立てないが

足が一本の固い棒になったら立つことはできる。

 

棒なので、当然曲がったり、弾んだり、しなるような動きはできない。

 

ふにゃふにゃ足を緊張を高めれば

少しずつ下肢全体が棒のように固くなり

 

あたかも

今まで体重載せれなかった足に

体重が載せられて回復したように思ってしまう。

 

支持性が向上した

なんて言われる。

 

しかし

これは回復してるわけではない。

逆に予後不良になる可能性が高い

 

足の機能を考えるときに

支持性では役に立たない。

 

単純に支持を高めるようにすればいいと思うと

下に書いたようなアプローチになりがちだ

 

頑張って立ち続ける練習したり 

歩行のときに足を固めないと歩けないほど無理な課題にしたり

固めるような筋トレを続けると 

棒のような足になって、体重は乗るようのなるだろう。

 

病院ではそこまで

極端に棒にならないと思うかもしれない

 

しかし

このような練習は足を棒にする

『癖』を獲得している

 

 病院でその癖がつけば

在宅に帰ったときも、その人は足を

棒にしようとし続けるのだ

 

一年もたてばかなり固くなる。

無意識的に膝にはずっと力が入り、寝てる時でも足を上にあげても膝は曲がってこない。

 

そういう人は

寝てるときも

ずーーっと棒にし続けてるのだ

そして立てなく、歩けなくなっていく

そんな人じつは在宅で山のようにいる

 

早期リハビリテーションの考えのもと

早期に歩かせられ、無理をする

そうすると身体は固くなるので一見

立ったり歩いたりできるようになるが

 

その固さの癖は家に帰っても

続けるわけだから

日常的にどんどん固くなっていく

 

赤ん坊で考えたらわかりやすい

赤ん坊を縦長の狭いボックスの中に毎日5、6時間入れると棒のように立つことはできるだろう。

 

装具をつけて膝折れする足を固めても、ぎごちないが歩けるかもしれない

 

しかし予後はやはり不良なのだ。

 

必要なことを学ぶプロセスをすっ飛ばしている。

 

患者さんも実は同じで

脳梗塞などで、自分の身体を全く変わったのなら、無理なく学ぶプロセスが必要です

それを、すっ飛ばして、無理やり立たせれば

早く立つようなるのは間違いないが

やはり予後は不良なのだ。

 

無理やりすると

患者さんも赤ん坊も

自分を固めて棒になろうとするしかないのだ

 

エビデンスで早期リハは早く立てるようになるというのは間違いないが、調査では、その予後については全く考えられていない。

 

ほとんどの調査は

いかに早く歩いて、早く退院できたか

なのだ

 

しかし、

在宅に帰ると

歩けなくなる人が多いというのは

経験的にありませんか?

 

それは

リハビリをしていないとかではなく

結構な割合で無理やり動いて獲得した

歩行や立位が、癖を拗らせ

身体を板のように、棒のようにするのだ

 

在宅でリハビリしなくても

動いてる人は沢山いる

 

多く場合

その分かれ目は

無駄な力を使う癖があるからどうかなのだ

 

 

単純に考えて

足が棒になったと思ったら

どれだけ動きにくか想像できると思う

 

下肢の機能で獲得しなければいけないのは

支持性ではなく

 

多様性だ

例えば足に体重を乗せながらどれだけ楽に揺れれるか

体重を乗せたときは緊張し、乗せなければ緊張をやめれるか

棒のように突っ張って立つのではなく、そこで膝を回したり、お尻を回したり、

どれだけ楽な動きができるか

 

そのように考えたときに

平行棒を持って10秒数えて立つ

とか

頑張って100m歩けるようになる

という量だけを目指すのではなく

 

平行棒を持ちながら

前方に揺れたり、足を片足あげて、体重載せてるほうの足で膝を回す

 

まっすぐ歩くだけでなく

揺れながら歩いたり、ときに床に手をついて高這いで歩く

 

ときにジャンプしたり、壁を蹴ったりできる

 

などといった

機能の獲得を目指せるようになる。

 

それも努力してやるのではなく、楽にすること。

 

ではその機能を無理なく獲得するために

何をまず学んだらよい考える。

 

生まれたての赤ん坊が仰向けでゴソゴソ動くように

目の前の患者さんはまず何を学ぶ必要があるのか。今やってることは患者さんに無理な癖をつけてはないか。

 

そうしたことを考えると

下肢のアプローチ1つとっても随分と変わる

 

人は生きてるのだ

病院に合わせていきてるわけではない。

病院の思いどおりに回復するものではない。

 

退院の3ヶ月後には

歩行を獲得をしてもらう。

そんなふうにきっちり、予定通りに変化させることは神さましかできない。

神さまと同じ行為をすると

どこか無理をしてしまうのだ。

 

普段自分さえも思い通りにいかないのに

どうして、相手を思いどおりにできると思うのだろうか

 

無理したお釣りは

在宅で支払うことになる

板が入ってるかのような背骨や

棒のやような足の

悲鳴を続ける身体

人によって違うが。

 

人が回復するには

時間をかける必要もあるし

多様性を広げていく必要もある

 

ときに失敗し

自分と向き合っていく

そして、少しずつ望んだものを手にしていく

それでたまたま二ヶ月で歩けるようになれる人もいれば

半年かかる人もいる。

その時期に〜を獲得すると決まりきったものではないのだ。

 

それを援助するためには

セラピストや動きを支援する人自身が多様性を学び

また病院や施設が多様になる必要がある

 

なんか

足を収縮の話から

ここまで広がりました笑