ぼちぼちでええやん。

人の動きについて根っこから理解したいと思ってます。シンプルラーニング提唱者、キネステティク理事、YOUTUBE「楽な動きの学習会」ブログは癖が強い記事が多めです。

人類には必要ないことが必要だ

これも必要ない

あれも必要ない

 

というが

 

じゃあ

必要あることって何?

 

究極は

 

味気のないご飯食べて

たまにシャワーして

クソして

寝るだけ

 

その繰り返しで

人生が終わる

 

それ以外は

生きるために必要のないこと

余計なこと

 

 

これ寝たきりの人のケアにも言える

ことなんよなぁ

 

ただベッドの中で生かされることはできるけど

もっと色んなことしても

いいはずだもの

 

 

人生ってなんだろうねー

 

外に出なけりゃー

車に轢かれるリスクもない

 

誰かと関わらなけば

ハラスメントにあうこともない

 

新しい場所にいかなければ

失敗して焦ることもない

 

家にこもって

人と距離とって

不要不急を避ける

 

それが命を守ることで

逆にこれ以外のことは

多かれ少なかれリスクになる。

 

だけど

この逆をすることが

ケアなんよなぁ

 

外に出て

人と関わって

無駄なことをする

 

命を守るために

必要ないことをすることが

生きるってことで

 

だけど命を守らなければ生きれなくて

 

そう考えると

昔から命と生活は常に相反してきた

 

ケアの場面でも

転倒するから歩かせない

誤嚥するから食べさせない

血圧上がるから、ゆっくり風呂につからせない

 

比較的よくあることで

命を守るためのはずが

 

歩くことを禁じられて弱っていく人もいるし

口から食べれなくなって楽しみを奪われ、衰弱した人もいる

風呂が嫌いになって、暴力的になり薬で抑制された人もいる

 

一般論をいくら述べても

その人たちの人生はかえってこない。

 

結局命だけでは

僕らは元気には生きれない

 

今は過去の貯金で

ごまかしているに過ぎない。

 

過去の文化、過去の関係性

過去のメディアなどを消費して

 

今を生きてる気がしてるけど

それは本当に生きてると言えるのか。

 

新しい文化や、新しい関係性

新しい楽しみなどは

確実に減っている。

 

ステイホームでは

出会いはないし

 

zoomでは

人間関係がコンテンツでしかない。

 

コロナは確かに厄介だけど

生命だけ消費していくのも嫌だ

 

きっと命を守るだけでは

人は弱っていくだろう

 

人類には

必要ないことが必要なのだ。

 

どっちでもいいことに心血を注ぎ

しょーもないことに胸を熱くさせ

無駄なことに本気になる

 

それが

生きるってことじゃないかと。