リハビリテーション=生きること
リハビリテーションは一般的に訓練するとか、機能回復というイメージがありますが、これはとても狭義な意味です。
生活期に関わってる理学療法士や作業療法士なのどセラピストは、このイメージを払拭したくて、リハビリテーションとは生活を取り戻すことという広い概念なんだ。と教えてくれます。
そう考えると、リハビリテーションはリハビリ専門職だけではなく、生活に関わる介護福祉士、看護師も生活を、取り戻すために、リハビリテーションを実践しています。
僕もとっても良い考えだと思いますが、僕は個人的にもっと、シンプルでいいかなぁと思います。
みんな現状の生活の中で今をよく生きたというのは、障害があろうがなかろうが関係ないと思います。
生活をよりよくしたい、充実して過ごしたいというのは、何も特別な事ではありません。僕だってそうです。
リハビリテーションだと特別な意識しなくても、生活が充実していくこと、生きていくことの支援だと考えればよりしっくり、わかりやすいかなぁと思います。
訓練も、ケアも、看護もより生きるために。僕らは立場は違えど生きることを支援しています。
そのように考えるとリハビリテーションや障害、病気という枠からももはや離れて、多くの人の「生きる」という支援に広がります。
リハビリテーション=生きることの支援なら、セラピストは、さらに多くの人に「より生きる事」を働きかける事ができるでしょう。
病気や障害しか通じないのではなく、もっと多く人に通じることで、専門性は逆に深まるし、よりみんなから活躍できると思います。
結局、障害や病気で分けても、人はそれぞれちがいます。みんなそれぞれの人生があり、生き方があります。結局のところみんな違うと思います。
仮に障害の人しか見れないのであれば、それは障害というものに、セラピストが依存しすぎてるのじゃないなと思います。介護保険や医療保険そんなものに、守られてるのは、実は僕らセラピストじゃないかと。
何も、現状を批判したくて書いてるわけではありません。むしろ逆です。
いつも障害や病気に真剣に向き合ってるセラピストならば、その枠だけでなく、もっとリハビリテーションの概念を生きることと広げればいろんな人に対応できるようになります。
道を歩いてる会社員の人でも、魚屋のおじさんでも、キャリアウーマンでも、きっとお役に立てるようになると思うのです。
僕も作業療法士なので、これからのセラピストの行方は心配するものがあります。
供給過多に年々なっている反面、活躍できる枠は限られています。独立してる人も増えていますが、まだまだわずかです。需要と供給のバランスは10年前と今を比べてもかなり変わってます。もちろん給料も下がり続けてます。
これからは障害、病気などの枠からさらに広げ
、生きることの支援の場でよりセラピストが活躍できるのではかと思います。
それには、セラピスト自身がリハビリテーションという枠から離れ
人とは何か?
生きることはなにか?
歳を重ねる事とは?
などの、人間学習を深めていく必要があると思います。その理解が深まることで、今のテクニックや概念などもより多くの人に生かすことができるでしょう。
もちろん人間学習の中には人の動きも幅広く理解することも含まれてます(^^)