良くしたいなら、理想に近づけない!!
※けっこう長いですが、有料級の情報だと思います。
シンプルラーニングのセミナー受けた人向けですが、じっくり誰でも読んで下さい。ごちゃごちゃと書いてますがわかりにくければセミナーで体験しながら学べばスッとわかります。
今までどうにもならなかったことは、どうにもならない方法でやってたのかもしれません。
脳は理想の状態に近づけようとすることが、1番学習を阻害する
人間は自分の感覚を動きに変換することにより、周囲に適応し動いています。例えば誰かに指で軽くツンとお腹を突かれると、なんらかの応答をしてしまうでしょう?あれもそうです。同じように僕らは床を感じることで、景色を見ることで、自分の動きを感じることで常に何らかの応答をしているのです。
これは内部の処理を必要とするものです。感覚を感じると、内部で色んな感覚を統合し、環境の中で最適化する能力を持っています。
あくまでも外部から直接変えられたものではなく、内部で処理していくプロセスであることが需要です。
理想とは、これが正しいという抽象概念であり、それが実は動きの学習を阻害していることがあるのです。それを今から検証していきましょう。
※ここでいう内部や外部とは、情報の種類と処理の仕方で分類できます。内部とは身体が感じる感覚のことであり無意識です。外部とは思考という抽象的な概念のことで意識的なものです。
良くしたいという心情と、良くなるプロセスは全く違うもの
援助者がガチガチの固い筋肉をみると、そのガチガチをなんとかよい状態にしたい、つまり緩めたい!!
と思うのが心情です。
ちなみに本人であろうと、自分の今の状態から理想の状態に押し付けると、それは外部の情報を直接自分に押し付けていることですからやはり無理が生じます。
例をいくつかあげると
猫背で無理に背中をそらす
無理やり良い姿勢で歩くとか
筋肉を無理やり伸ばす
リラックスさせてゆるまそうとさせる
なんてことがよくある外部からの直接のアプローチです。人は内部で情報処理をするからこそ、適切に動けるにもかかわらず外部の答えを直接押し付けるのです。
内部の処理は「感覚」にもとずく
理想というのは、ある種のイメージであり思考です。基本的な動きに関することのほとんどは、内部のプロセスは思考ではなく、感覚にもとずいて処理します。
理想とは外部の価値であり、今ここで身体が求めていることと違うのです。理想をもとにしてアプローチしても大脳(特に前頭葉。脳の表面の額あたりの部分)レベルでは変化しますが、より深いレベルの処理では運動を司るレベルを抑制をかけてしまうのです。
単純な動きとは本来は脳の深いところによる処理が中心です。哺乳類は人間ほど大脳が発達しなくても、とても滑らかな動きをするでしょう。哺乳類は人間よりも大脳は小さいにもかかわらず素晴らしい動きが出来る仕組みを持っているのです。もちろん人間も考えなくても動ける仕組みをもっています。
では、大脳レベルの大きな役割は何かというと、運動よりも行動レベルの統制です。買い物したくなって目的地まで行動計画を練るとか、嫌いな人を避けようとしたり、旅行の計画を立て実行するようなより高度なレベルの動きです。
人間が人間たる行動。社会的な動きは大脳を中心としたコントロールです。単純に立つとか、歩くとかそういう部分は大脳が主役ではなく、より深い部分や原始的というわれる脳の部分になります。
もちろん大脳皮質はとても多機能なので、全く単純な動きに関わってない。ということではありません。それを言い出すと色んなもの関連付いているのでキリがないのです。ここではそういう傾向がある。という風に考えてください。
多くの援助が答え(理想)を押し付けている
以上を踏まえて現場で何がよく起こっていることを考えてみましょう。現場では目標や、正しさを想定し、そこに近づけるように対象に働きかけることが非常に多いです。むしろ目標や理想を持ってアプローチすることが正しいとされ、リハビリでは正常動作といわれるものに当てはめて、それに近づけることが現在のスタンダードではないかと思います。
これらの目標や理想や正常とされる価値観とは、思考レベルの話であり、感覚レベルとは仕組みが全く違います。さらにこれらの思考は正常性のバイアス(思い込み)により、感覚の機能を抑制します。
目標を立てることは悪いことではありません。しかしそれは内部のコントロールが問題のない人です。つまり通常であれば内部の処理は円滑に進むので、あとは行動レベルの工夫をすれば目標、つまり思い描いた理想を達成することができます。
この能力があるからこそ、人は大きく発展してきました。今の文化はその理想の積み重ねによりできています。
だからこそ目標を立てることは、役に立つことではあるのです。ただし、内部のプロセスに問題がある人=単純な立つ、歩くなとができない人にはその目標が外部の情報となり、内部の情報処理を阻害してしまうのです。目標を立てることは構いませんが、押し付けた時点でそれは感覚の抑制になることを知っておいたほうがいいでしょう。押し付けなければ目標を立てるのは構いません。その場合は状況によって常に目標を変化させていくことが求めらますが。
ここでよくある内部プロセスの抑制の例をあげていきます。
姿勢を正して歩きましょう!
とか
足をしっかり上げて歩きましょう!
踵からついて歩きましょう!
こういうことです。動作指導の場面で理想を押し付ければ逆にぎこちなくなってしまった。不自然になってしまった。という経験は多くの援助者が経験していることでしょう。
他にも
筋肉が固いから、しっかり伸ばします!
筋肉が固いからリラックスさせて緩めます。
と言ったことも、結局内部のプロセスが無視されて外部の理想を押し付けています。これでは、その情報が正しい、間違っているなんて関係なく全く役に立ちません。筋肉の動きは考えやることではなく、内部で処理されることです。無理に筋肉は伸びるんだと押し付けられても、伸びたパンツのゴムのように緩むかもしれませんが機能的にはなれません。(近年スポーツ界では身体をぐっと伸ばすようなストレッチはパフォーマンスが下がるからしなくなっている)
非常にリハビリや介助の現場ではよくやってることですか、これが内部の感覚処理を大きく邪魔するのです。ストレッチしてから動作練習しても、動きにくくして、さらに理想を追いかけるようにすれば、努力感だけが増して無理やりに動けば、ガチガチで動く人が増えるだけです。
ポイントはいかに内部の処理を抑制せず、促進していくか
ここまで書いたように、いかに抑制せず内部の処理を促進することが、立てない人が立てるように、またスムーズに歩けるようにするために非常に大きなポイントです。
ちなみに単純な動きとは、歩く、立つ以外にも寝返りもや起き上がりといった基本動作、さらに肘や指の曲げ伸ばしまで含まれています。
まずは理想や正解を押し付けることをやめる
内部の処理プロセスを抑制しない方法を考えると、まず大切なのは理想を自分に押し付けることをやめることです。
つまり
このように動くべきだ。
これが正しい動きだ
正常動作だ
という価値観を手放すことです。
これらにこだわればこだわるほど
内部の処理プロセスは抑制されて
適切な動きや、筋肉の状態は適切化されません。
赤ん坊のころを考えると、私たちは言葉で動きを覚えたわけではありません。感覚を使い常に内部で処理を行い動きに変えていきましました。それは内部プロセスの働きです。
生まれた時は腕を動かすなどの単純な動きでしたが、それから少しずつ自然と拡張され全身が動くようになります。考えて動けるようになったわけではないのです。
内部の処理プロセスの第一歩は理想の自分や、理想の動きを手放すことです。本来の理想の動きとは無理やり自分に正しい動きを押し付けることではなく、内部プロセスが適切に処理していくうちに自然と理想な動きになるのです。
つまりゴソゴソ、ごねごねしてるうちに、気づいたらええ感じで動けてるやん!!
を目指すのです。
目標達成とは非常に西洋的文化であり、目標を立てることが別に優れたことでもありません。ただの一文化です。ただあまりにも目標を立てるという文化に染まりすぎて、まるで思考が真実だと疑うことさえ難しくなっているのです。目標を持たない生き方も単なる価値観の違いであり間違えではありません。目標をあえて立てないほうが成功することもたくさんあります。
内部のプロセスをさらに理解しよう
まず理想を手放す。これがある程度できて内部プロセスの抑制が外れたら、内部プロセスを促進させていくことです。今度はより深く内部プロセスを理解していしましょう?
もう一度内部プロセスの仕組みを簡単に見てみましょう。
内部プロセスの情報処理とは、感覚情報の処理のことです。そしてこの内部プロセスは非常に複雑です。
多くの人が誤解してるのですが、この感覚を入力すればよい。と思って特定の感覚を入れましょう。というのは感覚の一部にしかすぎません。
そもそも感覚とは主体的に処理するものであり、入力されるような受け身のものではありません。
内部のプロセスは色んな感覚情報を統合し、それを、処理して動きに変えるシステムです。それは複雑ですが非常に柔軟なもので、その場や状況に合わせて適切な動きを表出させるものです。
また、感覚は分離して扱えるのものではありません。触覚を感じているとき、同時に冷たい、熱いも感じ、また自分の手の重さも感じる。そんな風に感覚とは複合的に働いているものです。ですからこの感覚が足りてない!と決めつけるのではなく、感覚全体として何をしているかということを理解することが大切です。
感覚の役割を考えたとき、私たちの感覚がなくなったらどうなるんだろう?という視点が役に立ちます。結論からいいますが、感覚がなくなると自分が存在しているとこ、動いていること、そして外の世界が存在していること、その全てが失われます。実感できないのです。感覚を遮断した実験では30分もすれば、人は発狂すると言います。そこから考えると我考えるゆえに我ありではなく、我感じるゆえに我ありというほうが正確でしょう。デカルトは少し考えることをやめて、自分の身体を感じる必要があったのかもしれません。
つまり感覚とは存在を感じるためにあるのです。多様な感覚はこの世界に自分が存在していると認識し、さらにその認識を動きに変え最適化を図るためのものなのです。それは意識レベルではなく、無意識レベルでの処理になります。だからこそ理想を考えて動きを学習しようとする学習プロセスがいかに理にかなっていないか。を理解できるのではないかなと思います。
さて、ここまで説明すれば感覚を促進するためにすることは明確です。感覚は内部の処理をして動きに変えます。そして動きができない人はこの内部の処理プロセスがおかしくなっているわけです。
混乱を受け入れる
上手く動けない人の内部の処理プロセスがおかしくなれば、意図しない動きとして出現します。カチカチな動きや筋肉、逆にゆるすぎる筋肉。またはその状況にそぐわない動きの出現なとです。
多くの人は意図しない動きが出現した時、それを無理に止めて、意図して動きになるようにコントロールしようとします。これは最初に述べた理想を押し付ける、内部の処理プロセスを抑制するので、上手くいきません。
ではどうすればいいのでしょう?
理想を押し付けないことは語りました。ここからさらに進んでいくなら、内部のプロセスをあえてより混乱させるのです。理想を押し付けるのとはま逆のことをするのです。
そもそも内部プロセスがうまく働いていないとき、その情報はほとんど処理できていません。なので、今まで不都合が起きても処理ができてないから、ずーーと不都合な動きのままなのです。
だからこそじーーくり感覚を使って、時間をかけて処理してもらうのです。
もちろん、すぐにうまく行くわけではありません。むしろうまくいかないことこそがこの話のミソの部分です。手品の種です。
動きの変換がうまくいかない内部プロセスに、丁寧に感覚を処理をさせてあげると今まで全く違う動きとして表出されます。
もちろん最初からよい応答なんて少ないのです。内部の処理はいきなり情報を丁寧に与えられても混乱するのです。
ですので処理した後の動きは、力抜くつともりが余計に力が入ってしまったり、リラックスするつもりがビック!と常に動く、意図ではない方向に関節が動く。指が動く。というような意図しないことが起こります。
筋肉が緩んで欲しいのに、丁寧に感じてもらったら余計に力が入ってしまってる!!
と思うこともあるかもしれません。多くの人はその意図しない応答に焦ってしまって、
ああ、失敗した!!もっと緩めないいけないのに、上手くいかない!!
とついつい外部の理想を当てはめようとしてしまいます。
仮に本人自身で動きを学習しようとしても、そこで、あぁ今のは変だった。今度からしないようにしよう。避けよう。これが正しい動きだから少々しんどくても我慢しようとさえ思ってしまうのです。意識しなければいけないと毎日取り組むのですが、意識して上手く行く人は内部プロセスがそもそも働いている人です。
上手く学習が進まない原因は、理想を押し付け、理想を意識して、内部プロセスを抑制しているのです。
実は何かをしようとしたときに
力が入りすぎってしまった!!
なんかぎこちない動きになってしまった!!
というのは、内部処理において必要なプロセスなのです。
もちろんこれで終わりではありませんが、内部処理が混乱しているという証拠です。混乱しているを言い換えると、今の感覚情報を必死に試行錯誤しながら処理しているのです。その過程で動きが意図しないようなものも出現するのは当然です。
仮に援助者が固い筋肉が緩まればいいなぁーと関わったとして、丁寧に感覚を感じたのに逆に固くなってしまった。
この場面において何をすればいいかというと、その応答を尊重することにあります。固くなったらなったで、無理やり抑えこむのでなく、充分に内部プロセスに混乱してもらいます。ただし、ゆっくりやってください。単なる反復ではなく、毎回ゆっくり小さい違いを感じながら混乱するのです。ただ惰性で繰り返すことは違います。ここは非常に大切で、練習しないと難しいところかもしれません。
そうするとしばらく色んな応答があると思います。例えば今度は違う方向に固くなったり、逆にゆるすぎるようになったり。それは内部の処理を一生懸命して、内部プロセスがどうにか最適化しようとする応答です。
ここで注意点ですが、筋肉は緩めばいいというものではありません。緩めても、適切な状況で適切な収縮を内部モデルによって調整できなければ、機能的な筋肉とは言えないでしょう。
上手く機能しない内部プロセスは、混乱を繰り返すことで、少しずつ最適解の動きへと導かれていきます。これこそが本来の感覚のフィードバックコントロールです。考えてやることでないのです。
同様に予想した正解を入力するものでありません。(属に言う正しい感覚の入力ではない)感覚系の情報をベースとした内部モデルは混乱を繰り返しながら自然とその個体にあったものを発見していきます。つまり混乱があるからこそ、人は学ぶのです。
私たちは結果を教えるのでなくプロセスを提供する
立ち上がりが出来ない人に、立ち上がりができるまでのプロセスは、「こうやったらいい立ち上がりが出来る」という正解(理想)を押し付けることではありません。むしろ立ち上がりをしようして、失敗して、緊張が上がるということを丁寧に何度も感じ体験するのです。そうしているうちに脳の内部プロセスの処理が促進され、処理が最適化されると自然と力が抜け、スッと立てるようになるのです。
逆に正しい立ちがり方が、いかにエビデンス的に、教科的に、理論的に正しかろうが、その人に押し付けてしまえば、学習は阻害されるのです。つまり答えを知ってることと、動きの学習のプロセスは全く違うと考えていいでしょう。答えばかり学習しても動けの学習を行うことはできません。
私たちが気をつけなければいけないことは、すぐに結果を求めない。ということです。それは内部プロセスの処理プロセスを奪うことであり、学習の妨げにしかなりません。それはリハビリでも介助でも同じです。
逆にいうと、感覚情報を丁寧に処理できる瞬間、混乱するような応答でも、意図と違うからといっても、充分にさせてあげる必要があります。ゆっくり丁寧に、その意図しない動きをたくさん経験することで、落とし所が自然と見えてくるのです。最初から答えありきではないのです。
また、僕らの思考は思ったよりも深く根付いています。
例えば頭のどこかでは、緊張することは良くないからなるべくなら緊張させてはいけない。
力を抜いたほうがいいから、ちょっとでも無理な動きになると修正しなければいけない。それは役に立たない失敗である。
そういう考えがなかなか離れません。
もちろん過緊張は歓迎できるものではありません。また力を抜けて動けるほうが理想です。
理想なのはわかりますが、これらは意図してすることでなく、内部プロセスが混乱の結果、自然と力が抜いて動けるようになったりするのです。
力は抜くものじゃない、抜けるものです。
抜ける練習をするのではありません。
むしろプロセスの中では力を入れることが必要なこともあるでしょう。力を入れたり、抜けたり色んなことが起こって最終的に最適化されるのです。その時スッと力が自然と抜けるのです。そして、その時明確に力を入れられるのです。
世の中のほとんどは意図せず動いている
地球が自然と回っているように
物事は自然と起こるこものなのです。
僕らは意識して自分の身体を動かせているように思いますが、僕らの身体のほとんどは無意識です。自然に起こることです。
血の流れ
心臓の動き
呼吸
重力との緊張の調整
歩いてるとき足の運び
バランスが崩れそうな時に手がでること
僕は感覚をもとに自然と動きが起こるように
できています。
つまり動きの学習とは、自然に起こることを手伝うのであって、意図的に何かを覚えるものではありません。
赤ん坊も自然とゴソゴソしてるうちに内部プロセスを働かせ、動きを拡張していくのです。それが哺乳類としてのベースとの学び方です。
人間は大脳が発達しすぎて賢くなりすぎました。全て予想して、その通りにしたくなる生き物です。考えることと、感じることがごちゃごちゃになっています。僕もまだまだ修行中です。時々あぁ、これは感じてるつもりで感じようと考えてただけなんだなぁと反省することは多々あります。
立つ、座る、寝返りするなどの基本的な動きのベースは考えることではなく感じることです。そのベースをもとに、そろそろバイトだから立たないと。など思考も加わるのです。
理想は思考であり、単純な動きの学習には通用しないのです。ですがらこれが正常動作だと理想に近づけるのではなく、混乱もプロセスとして、じっくり向きあうことが私たちたちの基本的な動きの学習の仕組みです。
(ちなみち正常動作そのものも、色んな身体の状況があるなかで教科書一辺倒に正常と判断するのは考え直す必要があると思います)
赤ん坊は大脳が明確に機能する前に、基本的な動を学習します。いや、大脳の発達しすぎない子供だからこそ理想に抑制されず感覚をベースに動きを学習していけるのでしょう。
とすれば私たちも、理想を放棄することで、赤ん坊と同じようには完全には出来ませんが、感覚をベースとして動きを学習することで再び人は学んでいけるのです。動きの再学習とはこのことです。
人間は大脳の発達させすぎた反面、脳全体の柔らかさをもっている生き物です。それが脳の過疎性であり、過疎性を引き出す方法なのです。
色々書きましたが、結局言いたいことは
まとめ。長くなったけどこれが理解できればオッケー!
まず、何が正しいかなんてことは手放して、動きを感じること。それが自分の意図しないものでも丁寧に感じる。そうすることで、感覚は新しい動きに変換される。それも意図したものでなくても感じる。その繰り返しの中で適応していく。というのが動きの学習のプロセスなのです。
シンプルラーニング
わからなくても安心してください。興味があれば最新のベーシックコースへどうぞ。たぶん楽しみながら理解できると思います。