ぼちぼちでええやん。

人の動きについて根っこから理解したいと思ってます。シンプルラーニング提唱者、キネステティク理事、YOUTUBE「楽な動きの学習会」ブログは癖が強い記事が多めです。

シンプルラーニングをなぜ、多くの人に体験してもらいたいのか

いきなりですが、私の作ったシンプルラーニングはいじめることとは真逆の価値感にあります。大げさに言うとみんなが尊重しあえる社会のために活動しています。

 

いじめというと、差別するということが思い浮かびますが、差別の本質的な問題は、違いを尊重しないことにあります。

 

みんなそれぞれ違う考え、違う価値観があるのに、それを分けず同じように扱使えというのは無理があります。本質的な問題は差別をしないのではなく、違いを尊重しないことが、結果差別をするという行為を生むのです。

 

詳しくはこちらを参照

差別は無くそうとしてはいけません。 - ぼちぼちでええやん。

 

実際場色んな人がいるから、同じように扱われても適応する人も、そうでない人もいます。私の考えが正しくて、あなたの考えは間違っている。私の態度や価値観が正解で、あなたの態度や考え方は間違いだ。という認識からいじめは始まります。

 

ただ、それだけでは、いじめは生まれません。なぜかというとあくまでも、個人の価値観の違いだからです。そこまではいいです。気に入らなかったら喧嘩してもいいし、言い争うのもいいでしょう。

 

しかし、ここに周囲の同調圧力が加わると途端に、いじめに変わります。自分たちの態度があって、相手が間違っている。という第三者に感情とともに納得させてしまえば、途端に多数派と少数派になります。多くの支持をえて同調する人も自分が正しいと思うのです。

 

これで、人をいじめる土俵が完成します。こういう場が完成すると、圧倒的多数派が少数派を抑えつけるのもの容易になります。こういう場ができると、自然といじめが発生します。いじめをなくすなら、そういう場を作らないことが肝心なのです。

 

ではどんな過程で相手との違いを否定するのか。それには2種類のパターンがあります。

 

1つは

正義を押し付けるタイプ

 

2つめは

偽の被害者になるタイプです。

 

正義を押し付けるタイプは、自分が正しいと思い込むから、そうでない人をいじめやすいです。正義は常識という枠の中にあることが多いので、自ずとと周囲が同調しやすいのです。正論なので反論する人もあまりいません。そしてわかりやすい非常式な人がターゲットとして決まります。正義を味方に、自分の思い通りに人を矯正しようとしようとします。

 

偽の被害者になるタイプは、自分が嫌な気持ちをしたのだから、相手を否定しても構わない。と考えます。それが勝手な思い込みであろうが関係ありません。自分がそう思っただけなのに、周囲も同じように被害者になるはずだと思い込むのです。あの発言には私に対する配慮が足りないだの、たえず私のことに大切に気にかけてくれて当たり前と思う傾向が強い人が多いような気がします。自分を大切にするのはいいのですが、自分のために他人を犠牲にするのではなく、お互いに大切にしたいものです。

 

一度自分が被害者になれば、相手は加害者だから、相手を否定することも平気で言えます。悪ことをしてる人を攻めても罪悪感はわかないのです。物事の捉え方なんて人それぞれなのに、自分が勝手に不快になり、勝手に被害者になるのです。そして相手を殴ります。自分の捉え方を変えればそれだけで解決されることも多いのに。

 

さらに被害者という感情の部分で周囲の共感を獲得し、いかにも相手が間違っているのかを色んな人を巻き込んで主張します。

 

私と同じように、あの人も同じように思うに違いない。とその場にいないを巻き込むとかなりたちが悪くなります。クロちゃんの記事同様、人は全く関係ない人にも感情の共有だけで暴力的になれるからです。みんなが言ってるから、おそらく真実なのだろう、と思い込みが広がり、いじめの場がさらに強固になります。

 

参考記事

本当のモンスターは別にいる - ぼちぼちでええやん。

 

どちらも思い込みに支配されているということです。あなたは間違えているという自分の思い込みをベースに同調させ、いじめになる場が出来上がります。細かく言うと長くなるのでいいませんが、そしてこれらの思い込みの原因だいたいは突き詰めると拗ねや、僻みです。

 

それはいじめですよ。と言うとタイプ別にだいたい決まった返事が返ってきます。

 

正義の味方になるタイプはあの人が間違っているから、人に迷惑かけてるから

被害者になるタイプは私も気を使ったり、嫌な思いしてるから

 

だいたいそういう言い訳になります。もちろん実質的な危害や攻撃をしてきたものは戦わなければなりませんが、直接の被害がないのにもかかわずこのようなことが自然に発生します。

 

長くなりましたが、僕はこの2種類のいじめのパターンが苦手です。思い込みがあるため、いじめている本人に自覚がないため余計にたちが悪いのです。いじめているのにも関わらず、自分が悪くない。相手を殴っておいて、それは仕方がないことだと本気で思っています。なぜ正しい私が、被害者の私が間違えてると言われなければいけないのかと。

 

ただ、これはほんとによくあることなので自分も無意識的にしてしまわないかと思っています。それだけ簡単に誰もがしてしまうことも知っています。

 

だからこそ、シンプルラーニングで大切にしてることは、違いを大事にすること。みんな違った考えがあり、反応がある。それを否定するのではなく、その違った価値感の中でみなが楽しく生きていくことを探求することを目的とします。決して他人を矯正したり、強制したりするものではありません。

 

もちろん直接の危害や、矯正や強制を逆にしてくる人に対しては抵抗します。それを認めてしまうと、結局従わせる人の意見のみが残りますから。それだけは許すことはできません。強制や矯正を無理やりされられるのは偽の被害者ではなく、本当の被害者です。偽の被害者は自分が被害者になることによって、相手を矯正や強制をしようとしています。偽の被害者は本当は加害者なのです。

 

差別の話に戻しましょう。誤解を恐れず言うのなら差別はしてもいいのです。差別しあなたと私の違いを尊重する。そここらお互いの居心地よい形をコミュニケーションしながら見つけていくことです。みんな同じ世界なんて存在しないのです。

 

もちろんコミュニケーションの過程で失敗や、間違いもあります。人に迷惑をかけてしまっまり、いつのまにか人をいじめてしまうこともあるでしょう。たた、その失敗を経験し、常にお互いの居心地のよい形を見つけるために学ぶのです。そのプロセスを抜きにしてしまうと、結局相手を無理やり従わせようとするか、関わらないかの二択になってしまうのです。

 

気づけば変わります。失敗を責めるのではなく、失敗を生かしこれからお互い尊重できるよう思考錯誤していけばいい。だからこそ多少の失敗を許し合えることが大切です。そこから学びは始まるのですから。

 

シンプルラーニングはただのテクニックではなくて、自分も他人も楽に生きるあり方を学ぶ。お互いを尊重する。そんな文化を作るために活動しています。

 

シンプルラーニングの学習の場は色んな人の違いを受け入れられる場であること。自分を尊重し、相手を尊重する場でありたい。これ言っちゃえば元も子もないけど概念なんて忘れてもいい。そんな体験ができることが私にとって1番重要なのです。

 

違いを否定する場では、いじめが自然に発生すしますが、違いを尊重する場では、助け合いが自然と生まれます。あなたの得意なことと私が得意なことは違いますから。助け合いながら学ぶことができる。ちなみにシンプルラーニング実践者コースのガイドラインの一番目には『お互いの違いを尊重する』と書いています。

 

たくさんの笑顔の中で、自分らしく生きていいんだ、生き生きと学び、体験をする場でありたい。そんなセミナーを毎回できるようにしたいと心がけています。そしてシンプルラーニングの学習を通して人間らしく不完全を許容した今よりも平和な世界に近づけますように。

 

そんな気持ちで日々活動しています。

 

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