ぼちぼちでええやん。

人の動きについて根っこから理解したいと思ってます。シンプルラーニング提唱者、キネステティク理事、YOUTUBE「楽な動きの学習会」ブログは癖が強い記事が多めです。

「多様性」の反対は「統一」なのです

先日もメルマガで

 

リハビリやケアの場面では『統一』よりも『探求』をというメルマガを書かせてもらいました。今回はこのメルマガの補足でもあります。

(ちなみにメルマガは日本シンプルラーニング協会から無料で登録できます。現在500名ほど登録されてます)

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このメルマガの記事はブログにアップしました。ご参照ください。

リハビリやケアの場面では『統一』よりも『探求を』 - ぼちぼちでええやん。

 

よく介助の方法を統一しましょう

一貫して統一されたリハビリを

 

なんて言えば聞こえはとてもいいですが

実は統一という名のもと、多様性を排除していることが大変多いのです。

 

統一するということは

『1つに決める』ということです。

 

1つに決めるということは

『それ以外を排除する』

『それ以外を認めない』

 

ということになるのです。

 

ですから、アプローチを統一すると多様性は無くなってしまいます。

 

多様性がなくなるとわかりやすいかもしれません。もしくは素晴らしい方法が1つあればいいと思うかもしれません。

 

しかし、この世界は思っているよりも実に多様です。状況が違えば身体の反応だって違うし、自分が良いと思ってるものより、さらに良いものだってあるかもしれません。自分に役に立ったものが、他の人には違うかもしれません。そこで答えを出してしまえばそれ以上の探求は止まります。決めた枠の中でしか思考が出来なくなるのです。

 

統一するということは、人間に方法を合わせるのではなく、方法に人間を合わせようとします。いくら優れたものでも1つに決めると危険なのです。統一した時点で思考は停止します。

 

意外かもしれませんが、現場でアプローチの統一が行われるときは多様性が多いわけではなく、多様性が極端に少ない状況の時です。最初から選択肢がないから、自然と統一という流れに力が働きます。

 

例えばベットから椅子への乗り移りの介助を統一するとしましょう。この時、すでに介助がたくさんの関わり方を豊かにもっているスタッフに統一を強要すると、スタッフも相手も苦しくなって、成立しません。なぜ色んな方法でちゃんとできるのに、わざわざ1つに決めなければならないの?そのやり方はあの人には楽かもしれないけど、私にはそれはしんどいです!それに色々試行錯誤して、もっと新しい方法も見つかるかもしれないのに!などと反発します。

 

逆に、ほとんどの人が移乗の方法や、やり方がわからない。していても無理がある状況の場合に、じゃあこのやり方で統一しましょうという流れになるのです。ほかに知らないから、それを反論することもできないのです。つまり統一する流れになるのは、組織全体の学習ができていない時に起こります。

 

帰宅の道がわからなければ、道を決めてもらったほうが安心しますが、どこからでも帰えることができるなら、寄り道したり、抜け道したその場によって自分のしたいことを選択できます。道を統一すると、選択できないばかりか、新しい道を発見することも放棄するのです。

 

動きの学習が進み、他にも多様な考えや、関わりかた、多様な介助があると、統一は自然とできなくなります。逆に学習ができてないのに、やり方を統一するということは、さらに多様性を学習する機会を奪う悪循環が生まれます。

 

まとめると現場で考えることは二通りです。

 

アプローチを統一してやり続けるのか

アプローチに多様性を認めて変化していくのか

これらは相反するものです。

 

統一すれば、教育や学習がなくても最低限のことは可能です。変化もない分リスクも少ないでしょう。ただ、学びたい人には退屈で窮屈でしょう。学ぶ気がないなら、統一する方が楽です。

 

多様性は学習や試行錯誤が必要となります。失敗もありますが、より柔軟で深い関わりができます。学ぶ気があるなら楽しいでしょう。学ぶ気がないなら、変化が苦しいでしょう。

 

統一と多様性。

あなたの組織はどちらでしょうか??

あなたはどちらを選択していますか??