ぼちぼちでええやん。

人の動きについて根っこから理解したいと思ってます。シンプルラーニング提唱者、キネステティク理事、YOUTUBE「楽な動きの学習会」ブログは癖が強い記事が多めです。

ハラスメントのハラスメント

パワハラ

 

セクハラ

 

モラハラ

 

ジェンダーハラスメント

 

ハラスメントは嫌なものだし

 

経験したくはない。

 

 

 

世のには多種多用なハラスメントがありますね。

 

 

その内に

 

してることを、なんでもハラスメントだと

 

ハラスメント扱いしている

 

ハラスメントなんて事もありそうで

 

ハラハラなんて思ったり

 

 

さらに、その内

 

ハラスメント扱いしてる人を

 

さらにハラスメントじゃないかと

 

押し付ける人扱いするハラスメント

 

もあったりと

 

ハラハラ ハラスメントが横行したり。

 

もうわけがわからない。

 

 

ハラスメントとされてるかどうかは

 

受取り手で決まります。

 

 

ということは

 

基本的に人間関係によって決まる

 

という事です。

 

仲の良い恋人が触れることは

 

セクハラにはならないし

 

 

その恋人が

 

彼氏に頼るのは

 

ジェンダーハラスメントにはならないだろう。

 

 

これらのハラスメントの本質は

 

関係性の悪化

 

関係性ができてない

 

ことによるものだろう。

 

 

ハラスメントだからダメというと

 

なにをしてもダメな社会が出来上がりそうに思います。

 

もちろん、相手が嫌がる事はしない事は

 

とっても大切だと思う。

 

 

だけど

 

人は他の人と関わらずに生きる事は難しいし、

 

お互い失敗し迷惑をかける事もありますを

 

もちろん

 

ドを超えた迷惑は控えたほうがいいと思うし

 

犯罪はダメです。

 

 

しかし

 

ハラスメントだから断罪するのもいいけれど

 

人間関係を良好にすることで

 

お互いを許容する事も

 

あってもいいのかと思います。

 

 

ハラスメントは受け取り手で決まるのなら

 

結局そのように受け取らない

 

人間関係を気づく事

 

ハラスメントの解決する1つの方法ではないかと思います。

 

 

なんでもハラスメントだからとすると

 

良好な人間関係を築けなくなってしまう。

 

ギスギスした人間関係では

 

さらに受け止める事はハラスメントと

 

捉えるのだろう。

 

ハラスメントを言いすぎると

 

ハラスメントが増える構造にあるように思います。

 

そしていつも相手がどう受け止めるかばがり

 

気にしてしまえば何も行動できないか

 

ありきたりの話しかできなくなります。

 

 

 

なんでもハラスメントになれば

 

人と関わる事は出来ないように思います。

 

相手のことをちゃんと受け取るところから

 

コミュニティケーションは始まるのだから。

 

ハラスメントの監視が徹底された社会は

 

迷惑はかからないが孤立する社会になると思います。