ぼちぼちでええやん。

人の動きについて根っこから理解したいと思ってます。シンプルラーニング提唱者、キネステティク理事、YOUTUBE「楽な動きの学習会」ブログは癖が強い記事が多めです。

評価や分析は答えを出すものではない

相手の動きを分析すると

何をすればよいか、

答えがわかったように思うかもしれません。

 

しかし

分析する事で先の答えなんて

一向にわからないのです。

 

ハンドリングは相手の応答をとらえて

動きの学習を支援するものです。

 

応答は人様々です。

同じ人でも2回目違う応答することもあるし

 

同じ事をしても、援助が変わるだけで関係性が変わり違う応答になることもあります。

 

分析したところで

答えなんて見つからんのです。

 

答えがわかるのは

ある種の簡単な構造だけです。

 

ロボットや

機械などはどこが壊れているか

分析すればわかります。

 

そこを治せば良いだけです。

わかりやすいですね。

 

 

しかし

人はロボットではありません。

 

とっても複雑なのです。

分析したところで、それがそのまま答えに直結してるわけでもないし

 

逆に分析した答えに無理に合わせようとして

逆効果になることも多々あります。

 

では何のために分析するか?

 

答えではなく

それは今の現状を知るためです。

 

今の現状を知ることで

これからの関わりの変化がはっきりと

比較できます。

 

関わりをして

それが今どんな状態か分析し

結果行きたい方向に進んで行けたかどうか知るのです。

 

答えは、分析にありません。

試行錯誤することで答えは見つかります。

 

分析は試行錯誤で見つかったものが

答えなのか、どうなのかを判断する道具でしかありません。

 

検証作業をより詳細にすることが

分析の意味です。

 

ただいくら検証作業がしっかりしてても

 

次の答えはやってみないと

わからないのです。

 

やってみて

後からそれが、あっているどうかを分析します。

 

いくら分析しても

これから進む道は誰にも見えません。

 

ただ今どこにいるかはわかることができます。

 

少し歩いたら、また今の場所がわかると

過去と比べる事も出来るでしょう。

 

先の見えない道を

試行錯誤するために

今の自分を知ることが分析です。

 

分析して効果がでたこともあるかもしれません。それはたまたまあたりを引いたからです。

 

人の応答は多彩ですがら、同じように、他の人でもなるとは言えません。

 

いくら評価をしても、分析をしても、それが上手くいくのはたまたまか、ロボットのような単純な構造だけなのです。

 

結局答えは常に見えない場所にあります。

それは勇気を、持って進んでいくしかありません。

 

ふと立ち止まって

これまで自分がどこに向かっていたかを

知るために分析は役に立つでしょう。

 

自分の位置を知れば

探索する方向性を検討することができます。

 

ただ、分析ばかりしても

答えはやってみないと見つからんのです。