ぼちぼちでええやん。

人の動きについて根っこから理解したいと思ってます。シンプルラーニング提唱者、キネステティク理事、YOUTUBE「楽な動きの学習会」ブログは癖が強い記事が多めです。

差別は無くそうとしてはいけません。

差別を無くしましょうとは良く聞く言葉です。

差別を無くすことは本当にできるのでしょうか??

 

僕は差別は無くならないと思います。

むしろ無くてはいけないとさえ思います。

 

差別を無くすということは、どんな人でもみんな同じように扱いましょう。

という意味で使われていることが多いと思います。

 

 

しかし

現実的に差の無い人間なんているのでしょうか?

 

身体の特徴はもちろんのこと

育ってきた環境

価値観

など皆んなそれぞれ違います。

 

現実的に違うのに

同じように扱われることは

結局無理があるのです。

 

そして、同じようになれない人が

とても窮屈な思いをすることになります。

 

「どうして、あの人は同じようにできないの?」

「皆んな同じ扱いされて、なぜ不満なの?」

 

差別を無くすということは

「同じ」である押し付けです。

 

同じであることが正義になり

同じで無いことが、間違いになります。

 

同じように扱うというのは

ある種の多数決の暴力なのです。

 

さらに人は差別をしては行けないという考えのもと

違いや差をあえて見なくなります。

 

しかし、現実的に

私たちは違います。

 

生き方も、育ち方も、見た目も、文化も

みんな違います。

 

差別はなくせるものでないのです。 

 

差別の問題を繊細に観察すると

 

差別をした後に

「違いを認めない」ことが問題なのです。

 

皆んなと違うからといって、その違いを認めないことが

差別問題の本質なのです。

 

 

 

差別はしてもいいんです。

人は誰かと比較せずにはいれません。

 

比較して、自分と相手の違いを認識するからこそ

自分とは何か?を知ることができます。

 

その違いに優劣をつける必要はありません。

 

大切なのは

お互いの「違い」を尊重することです。

 

 違いが明確になれば、

その違いをより尊重でき

お互いが分かり合えるのです。

 

差別すること自体は

別に悪いことではありません。

 

差を同じにしようとするから

問題が増えるのです。 

 

自分と違うということを認めないから

差別が問題になるです。

 

 

それなのに、

差別を無くそうとすれば

 

違いの尊重どころが、

皆んな同時ようにしなければ行けない

とより個性が損なわれていきます。

 

他の人と違う人は

さらに生きにくい世界になります。

 

違いはどうしても起こります。

 

まずお互いの違いを尊重し

理解し合おうとするからコミュニケーションが生まれ

お互いに思いやることができるのではないかと思うのです。

  

差別は無くすものでなく

差別をして、「違い」を明確にして

その違いを尊重できることが大切だと思います。

 

差別を無くそうとすればするほど

差別問題はさらに深刻になると思います。

 

だから、差別は無くそうとしてはいけません。