ぼちぼちでええやん。

人の動きについて根っこから理解したいと思ってます。シンプルラーニング提唱者、キネステティク理事、YOUTUBE「楽な動きの学習会」ブログは癖が強い記事が多めです。

大義名分をそのまま信じる恐怖

大義名分は行動するときに基盤になるもの

 

なんで、あの人はそんなことするんだろう?

人としてどうなんだろう?

 

と思うことはないですか?

 

それだけじゃなくって

なぜ人は犯罪を犯すのか

 

もっというと戦争で殺し合うことが

できるのか?

 

という大きな話にもなってしまいますけども

 

実は物事の良い、悪いなんて

最初から決まってることでありません。

 

明らかにそれはNGだろう。

ということもあると思いますが

すでに、そこになんらかの価値観というフィルターが入ってるのです。

 

同じ物事でも、みんな違うフィルターで世界をみてるから、みんな自分の正しさをもとに行動するのです。

 

大義名分も一種のフィルターに過ぎません。

人の役に立つことが正しいことだ

社会のために

平和のために

 

など、もっともらしいことは

大義名分というフィルターをかけられることで

 

この行動は世の中をよくするためなんだ

この行動をしないと、誰も気づかない

あいつが悪いから粛正するとか

自粛警察とか

 

それらの行動に正当性をもたすのです。

 

大義名分で行動するというのは

一種の操られ人形と同じです。

 

いつのまにかあなたに価値観を植え付け

行動させます。

 

戦争はわかりやすい、大義名分で

兵隊をコントロールしています。

 

お国の国のために死んでくれ。

もしくは

お国のために殺してくれ。

 

この大義名分のパワーのおかげで

人殺しさえ人は選択してしまうのです。

 

普段そんなことをしない人が大半ですが

大義名分さえあれば、人は自分の行動さえ大きく変えてしまうのです。

 

大義名分とは

人を操るための便利な道具であり

また

自分の行動を正当化するための

言い訳とも言えるものです。

 

会社のためにもっと頑張れなんてものも

戦争のために死んでくれ

というのとよく似てます。

 

会社のために、人の行動をさせる自分は正義であり、そうしない奴は悪である。と知らないうちに言っているのです。

 

大義名分を与えると行動が変わる

ここまで書きましたが、これほどまでに

大義名分は自分の行動や他人の行動を支配できるものです。

 

人を操りたけりゃぁ

これこれをしてください。ではダメです。

そうじゃなくて、それをするための

確信的な理由を与えればよいのです。

 

そうすると、勝手に

その行動をとってくれるでしょう。

(※悪用しないでね)

 

ここまで書きましたが

大義名分は怖いものですが、逆に私たちは物事を、常に何らのフィルターをかけて見てるわけですから、逃れることは出来ません。

 

大義名分をなくすことなんて不可能なのです。だからこそうまく大義名分と付き合うことが必要です。

 

『なんとなく』を行動基準に

大義名分と上手くつきあうために、まず考えることは行動基準を見直すことです。今まではなんとかのために。のように理由をつけて行動していましたが、理由がなくても楽しいことを見つけるのです。

 

ただ、自分がしたいからする。

ただ、なんとなくやってるだけ。

も気のむくままなに行動する機会を自分に与えることです。

 

なんとなく、気分が乗らないから
やらない。
などでもいいでしう。


あまりにも人は自分の行動について理由を探してしまいますが、理由なんてなくたって行動していい。理由とは大義名分の一種です。

だからこそ、なんとなくやってみることで、理由というしがらみから外れるのです。もしくは理由と真逆のことをすることもいいでしょう。

 

大義名分や正当な理由付けから上手く付き合うコツは、まず自分のフィーリングを尊重すること。なんとなくを行動基準に取り込むことです。もちろん全てじゃなくてかまいません。ただそういう自分の中から出てくるものを大切にする機会を作りましょう。

 

簡単言うと理由なんて関係なく、自分が好きなものはやればいいし、嫌なことは減らせばいいのです。

 

大義名分を複数もつ

もう一つの対処法はとにかく大義名分を複数もつ。ということです。同じ物事でも反対側からみると白が黒に見えるなんとことはよくあることです。

戦争なんて、お互いに正義のため。平和のために戦うのです。

 

物事の捉え方や、これが正しいという答えを一つだけにしない。

色んな答えを持っておくことで、自分で大義名分を選択できるようになります。

 

一つだけの大義名分では、それを信じるしがありませんので人にコントロールされます。だけど2つ、3つ、4つと全く違う大義名分を持ってることで自分で選択できるのです。

 

お勉強も同じです。セミナーでこれが正しい!という言い方をするのは、一種の洗脳とも言えます。

 

物事の事象なんて、常に表裏一体です。僕はその裏の部分をよく担当するのですが、その正しいとは全く逆のことのほうが役に立つことは山ほどあります。筋肉の働きでさえ、あまりにも古典的な正しさだけ理解してる人が多すぎます。その前提を覆さないまま物事を見ようとしてもどうにもなりません。

 

残念ながら、答えを一つに絞ることは出来ません。これが正しい。ということ他人の意見を信じることは、自分で試行錯誤することを放棄しています。それはただの操り人形、コピー人形を作ってるという危惧さえしています。信じれば楽にはなりまくが救われません。

 

また、物事を一つだけにとらえる癖を見直してみましょう。正解を聞いてわかったつもりになるのではなく、常に他の答えを探してみましょう。学習とは一つのことを覚えることではおりません。むしろ今覚えてることを疑い、さらに色んな捉え方ができることご学習です。信じ込む学習は賢くなってる気分になるだけです。

 

新しいことを学ぶことは、過去の行いと向き合うこと

正しいことを一つだけ覚えているうちは、人は自由になれないのです。そして自分の身体なのに他人の価値観でなんでもしてしまうロボットにさえなりえてしまうのです。また大義名分や理由は自分の行動を正当化する便利な道具になってしまっています。もし自分が変わりたいなら、自分の中の大義名分を手放す必要があります。それは過去の言い訳に使ってきた大義名分を否定することにもつながります。簡単に言うとそれが正しいと一生懸命やってたことが実は誤りだったということです。

 

それは苦しみを生むかもしれません。受け入れがたいものかもしれません。しかし手放せない限り過去の正しさの中でしかし生きていけなくなるのです。

 

『やりたいこと』が先で『理由』は後付けする

もっともらしい理由ほど、怖いものはありません。それは一種の他人に都合よく行動される巧妙な罠かもしれません。罠にはまらないためにも、もっと自分の人生だから気のむくままに適当に行動してもいいのです。

 

逆に何か自分がなんとなくしてみたいことに、大義名分を付ければいいのです。そうすることで行動する理由が後押しされ自分のやりたいことを助けてくれるでしょう。

 

今までは理由が先で、やりたいことが後でした。しかし、やりたいことが先で理由は後で構いません。むしろそれこそが過去のしがらみや操り人形から抜け出す一歩なのです。