型を学ぶことは狭くなること
型を学ぶということはそれ以外を省くこと。
省こうとを思わなくても、型ばかり見ていれば自然と型以外のものが見えなくなる。
型というのは方法やテクニックだけではなく、一つの考え方や概念などのことだ。
それらにハマると、それ以外のことが見えなくなる。
誤解が無いように書くが、漠然としていることをそのまま理解することは難しい。
だから型を作って、漠然としてものを抜き取扱うことで、現実的に色んなことが対処できるようになる。
だけども途中から型ばかり注目することで、世界がこんなに広いということがわからなくなる。
逆に型を破ろうとすることを、
基礎を大切にしてない
ルールを守らない
人しておかしい
などと批判することがある。
型を学ぶのは初めての人には有効だけども、それより上の段階に行きたいならば型を破る必要がある。
型を破った先に、世界が広がることを知る必要がある。
型を破った時、初めて理解できるものがあるし今まで全てだと思っていたものが実はそうではなかったんだと気づく。
なんで今まで
必死に守っていたのだろう?
なんで、そんなにこだわり
苦しんでいたのだろう?
と不思議に思えるぐらい。
型の中から見たら間違っていることも、
型の外から見たらあっていることもある。
逆に型の外から見ていたら、型の中では間違っていることがあっていることもある。
物事の全体は型では見えない。
だけどもだいたいの物事は複雑で漠然としてもわかない。
だから人は型から学ぶ。
それはそれでいい。
ただ、型を深めることが学ぶことではない。成長することでもないのだ。
型を深めれば深めほど、型を学べば学ぶほど、その型は深く、厚くなり型を破って外の世界を見ることは難しくなる。
潜れば、潜るほど、外の世界は遠のくだろう。型はいずれくる自分の成長にために使い破るためにある。型に閉じこもることが学びでは無い。
ちょうど、サナギが蝶になって今までの殻を破って新しい世界を羽ばたくようなもの。
その先にまだまだ世界が広がっている。