体験することで思い込みを強化することも、無くすこともできる
「実際に理解していないものをあれこれ考えず体験して理解する」
ということは学習においてとても大切な考えです。しかし体験したから学べるというものでもありません。
動きの学習というと、体験型のセミナーが多いのですが、それは新しい体験を通して、新しい発見や、気づきをするためです。自転車の乗り方を机で勉強するよりも、実際に乗りながら学んだほうが早く、深く学べるのと同じです。
しかし、ここで注意しなければいけないことがあります。本来の趣旨は体験して新しい発見をするために学ぶのですが、自分自身の信じたいことの証明のために体験することです。
「これはこうなってるに違いない」
「私の考えが正しいに決まっている」
このような考えで新しいことに向きあうと、せっかく新しい体験をしているのにもかかわず、自分が信じてることのみをピックアップしてしまい、新鮮な体験は失われてしまいます。せっかく新しい体験は自分が信じてることの証明するものとなってしまうのです。
セミナーでも新しい体験をしてほしいのに、自分のやり方に固執し手放さなくなるのです。そうすると結果何も学べません。
もちろんどちらが正しいかは、後で自分で比べたらいいのですが、最初から手放さないのでは、いくらこちらが新しい体験をしてもらおうとしても出来ないのです。本人が全て知ってるとして扱って仕しまえば、どんな体験からでも学べなくなります。すごく勿体ないのです。比べたつもりにはなれますが、結局のところちゃんと体験できてないので比べではないのです。
全く新しい提案をしているのに、同じ態度で物事に向きい続けてしまいます。新しい体験をしても、結局知ってることで解釈してしまい、何も学べなくなるのです。そうなるとそこで成長は止まります。
僕の考えが正しいと主張したいわけではありません。もちろん役に立つ考えをお届けしてる自負はありますが、最終的に比較して判断するのは個人の自由です。
ただ新しいことというのは、今までにないことを学ぶわけです。そうなると自分が変わる必要があるということです。自分には足りない部分に気づくことにもなります。それは今の自分を否定しているのにように思え大変しんどいのです。今までやってきたことは何だったのだとショックを受ける人もいますが、そのショックをちゃんと受けることが学習を加速させるのです。必要なプロセスだと僕は思います。
人はある程度学ぶとその考えに固執し、ある程度できると、そのやり方に固執します。そうすると成功体験を経験できますから、今度はその成功体験を手放にくくなります。
これは、学んだ人にありがちな落とし穴です。いつの間にか新しいことを「知っている」と判断し、いくら新しい体験をしてる、自分の知ってることの証明にしかならなくなるのです。体験よりも思考が優先されてしまうのです。守りに入るのです。
僕が見ていて成長できる人はいつまで混乱出来ること、いつまでの新鮮に向き合えること。過去の自分に対して反省ができること。そんな人は大きく伸びると思います。びっくりするぐらい失敗する人は逆に素質あるなぁと思います。本当の怪我するような失敗はもちろんしないほうがいいですが。
逆に言えば、混乱できず、反省ではなく保身していると、新しい体験は自分の正しさの証明として使われてしまうでしょう。全てを無難にこなせて来た時は、そろそろ面白い失敗をする時です。無難というのは、新しい体験ではなく、全て過去のものとして処理してることになります。難しいものが無いと書いて無難と読みますが、現実には難しいものを無視してるだけなのです。本来世の中は大変複雑なのですから。
もちろんなんでもかんでも信じろというものではありません。新しいものを疑うことはとても大切です。しかし同じぐらいに、過去や今の自分も疑いながらも、新しいことを新しいこととして検証していく態度もとても大切です。新しいことを疑うこと、今の自分の考えも疑うこと、両方必要です。
体験から人は学ぶのも真実ですが、いくら体験しても学べなくなるのもまた真実です。その違いは自分と新しいことの向きあい方にあるのです。
最近学べてない。と思うのであればもしかしたら新しいことに向きあう自分の態度を変えると、世界は実に新しいことであふれていた。と気づけるかもしれません。
新しい体験でしか、思い込みはなくせません。だけどその体験に対して思い込みを優先してしまうともう学習は起こらないのです。まず新しいことは考えすぎず体験をしっかりしてみるとことをお勧めします。