ぼちぼちでええやん。

人の動きについて根っこから理解したいと思ってます。シンプルラーニング提唱者、キネステティク理事、YOUTUBE「楽な動きの学習会」ブログは癖が強い記事が多めです。

人の選択肢とは?

私たちは結果をコントロールできない。

将来を確定するこはできない。

 

思い通りに行く人もいれば

行かない人もいる。

 

努力すれば成せると思うかもしれないが

人の3倍努力しても成せない人もいる

 

それは天災や事故もあるかもしれないし

単純に運がないのかもしれない

 

その反面

あれよあれよと、自然に成せる人もいる

 

歌手になる気がなくてもなる人なるし

お金持ちになる気がなくても、自然となる人もいる

 

結果なんてものは

約束されているわけではない。

 

 

つまり、結果に対しては選択できないのだ。

 

私たちは望まなくても、望んでも

地球は回ってる結果だし

風は今は西向きに吹いてる結果だし

五メートル離れた人が勝手に立ち上がる結果だし

自分の心臓が動いてる結果だ

 

 

そう生まれてきたのも、選択したわけではく

結果なのだ。

 

すべての物事は

望んでいようが、望んでいまいが

 

起こる。

 

時に悲惨なことだって

悲しい出来事だって

起こる。

 

死ぬことも、今生きてる人に

いつか起こる。

 

僕らにあたえられた

選択肢は『起こる』ことに対して

どう応答するのかだ

 

拗ねて引きこもるのか

その中でも、自分が生きていく道を探求するのか

ちょっと休んでも起きあがるのか

 

僕らは、自分のことを

コントロールできるなんて思ってるけど

 

実際のところ

複雑な世界の中で動いていて、

自分の思い通りになんてなりやしない。

 

自分の思い通りになったとして

それはたまたまだ

 

もちろん

悲劇を起こらない取り組みすることも

全然ありだけし、実際減るのもいいと思うけど

 

それでも

目の前では考えもしない何かが起こる。

 

それはいいこと

悪いこと

色々あるだろう。

 

だけど人が持ってる

選択肢は

結果を選ぶことではなくて

 

どう受け取るかの、

『受け止め方』

つまり応答の仕方なのだ。

 

結果が選べないからと

がっかりする必要はない。

応答の仕方が変われば

自分の行動も変わるし

周囲も変わる

 

人は常に影響しあっている。

思い通りには変わらないかもしれないが

人も世界も変わっていけるのだ

 

自分の受け止め方が快適であれば

結果を選べないとしても

快適に生きていきる

 

不快な受け止め方をした自分とは

また違う道が、世界が待ってるだろう。

 

また皮肉なことに結果を望んでいたら

望み通りにならないのに、

受け止め方を変えたら自然と望み通りのことが起こることもある

 

もちろん必ずとはいえない

突然の災害や悲劇もあるだろう。

 

だけども

どうしようなく、この世界は『起こる』

 

私たちは無意識の中で

起こったことを、受け止め続けている。

 

そろそろ、いつもどうりに受け取るのを

やめて、新しい応答を選択してみるのはどうだろうか?

 

少なくとも結果を選択しようとする苦しさは手放してもいいと思う。