その結果は「関係性」であるといこと
例えば、相手の腕を持って「重い」「緊張している」「固い」などを感じることがある。もちろん、そんな状態ならば動きはとても鈍い。
では、どのように改善しようとしますか?
普通は軽くなるように相手を変えようとしますよね?
ここでは発想を逆転して見ましょう。
相手の腕を持って、緊張している、固いという相手と「関わった結果」になったと考えれば、相手との関わり方を変えればまた違った変化になるのではないだろうか?
何も特別なことをする必要はなくって、相手に対しての受け取り方を変えるってこと。つまり、相手の特性はあるにしろ、その特性を快適に受けとってしまえば結果も変わるのでないかと。
人間関係で考えて見たらわかりやすい。一見とても怖い人がいて、誰しもがその人を前にすると緊張し、気分が重くなり、動きが固くなる。
そこで受け取り方を変える。一見怖そうな人の前でも自分自身は快適に楽しくいるようにして見る。
すると、その受け取り方は相手にも自然と影響を受けて、怖そうだった顔に笑顔が出てきてお互いとっても楽になる。
もちろん、その逆でさらに怖くなることもあるけど、当然と思って事が、実は僕らのありようで変わるってことは間違いない。
こう考えたら、結果はその人そものもだけに原因があるのではなく、受け取り方を少し変えるだけで今まで変わらない、苦しい、動かないとも思っていたもの、楽で動くものへも結果が変わる。
楽にいれるように自分と相手の向き合い方を変えてみればそれらも変わるかもしれない。
実際、強面の人でも相手によって、仲が良いか、悪いのかで応答が変わるとうことは、人は関係性の中で動いている。機能しているとうことを物語っている。
実はこれと同じことが、相手に触れた時に起こる。
相手に触れて見たとき一瞬、動かないなと思ったことが少し相手との関係性受け取り方を変えることで急に動いてくれることもよくある。
起き上がりの介助をしようとしたとき同じ。固い動かないから、しんどいというように受け取るのではなく、固くても動かなくても快適に受け取れば関係性が代わり、動きが出てくる。
もし相手を理解するにあたって、相手のことだけで考えているのならそれはもったいない。
常に目の前の人は、相手の自分の中に存在する。そして自分の目の前で存在する。
自分の目の前でしか相手の存在を認識することはできないし、お互いの受け止め方の結果が、今の状態にある。
自分の受け止め方次第で、私たちの周囲は大きく変わる可能性を持っている。普遍とも思えるその現象は、相手を直接変えなくても、自分の受け取り方が変わったら変わるのだ。