ぼちぼちでええやん。

人の動きについて根っこから理解したいと思ってます。シンプルラーニング提唱者、キネステティク理事、YOUTUBE「楽な動きの学習会」ブログは癖が強い記事が多めです。

枕ピローの売り文句の話 褥瘡のケアにも繋がること

圧力がかかっている=本当に負担がかかっているのか?

 

前からずっとテレビの枕のCM見て違和感を感じていたことがあります。いかにこの枕は優れているかを紹介してるのですが、説明がおかしいのです。

 

接地面が大きくなった

とか

圧力が分散されてる

(体重が強くかかるところは濃くなるような絵を見せながら)

から

 

身体の負担が少ない!!

ってしれっと変換しているのです。

 

いやいや、接地面が多いからといって

圧力が分散されたからといって

=身体の負担が少ないなんて決め付けでしかないよね??

 

と思うわけです。

 

キーワードは

『接地面』『圧力の分散』

ですが、これらと

『身体の負担』は一致しているのでしょうか?

 

それを検証していきましょう。

 

結論から言うと、接地面と圧力の分散だけ考えても身体の負担はわからない

 

はい。ということです。

 

と言われてもハッキリしないと思いますので、一つ一つ考えていきましょう。

 

接地面が大きいほうが楽そうだけど??

と思うかもしれません。それはある程度はそうです。という曖昧な言い方しかできません。

 

なぜなら極端に接地面が少ないと負担がかかります。例えば仰向けで寝ているとき、頭と踵だけ接地していて、背中が浮いている状態はとても負担が大きいのは間違いありません。

 

しかし、ある程度背中が接地していれは、少々膝を曲げて、膝を接地面から浮かしても、背中を少し傾けて一部分だけ浮かしてそこまで負担はありません。

 

接地面が少ないことは確かに負担の要因にはなりますが、それが全てのように語ることは間違えています。

 

圧力についてはどうか?

圧力の分散も同じことです。そりゃあ寝ているときに、プロレスラーがやってきて頭を無理やり地面にぐっと押しつけたら負担はすごいでしょう。しかしただ寝ているだけの圧力がそこまで身体に負担がかかるのでしょうか?

 

多くの哺乳類は固めの床に寝てもなんともありません。太古の人類もゴツゴツした場所で寝ることがあるでしょう。昔ながらの生活を守って生活している森の部族の人は、固い床に草を敷いて寝ている人もいるでしょう。

 

もちろん、適度な柔かさというのは快適性に繋がり安眠を助けます。だからと言って、圧力=身体の負担だと言い切るのは早慶です。多くの生物や、人間も含め硬いか床で快適に寝てる人もいるのですから。

 

まとめると

支持面も圧力も極端な場合は負担がかかるけど、極端ではない場合、身体の負担という指標にはならない。ということになります。

 

ここを間違うと

支持面が多いほど良い

圧力がかからないほど良い

という誤った方向に突き進んでいきます。

 

これはとても残念です!!

 

誤解の無いように言いますが、支持面や圧力のことを考慮に入れないわけではありません。しかしそれらが極端ではないのなら、身体の負を考えるにあたって違う視点が必要だ。ということです。

 

身体の負担に欠かせない視点とは?

身体の負担なく快適に寝るのことができる。というのはどういった状態なのでしょう。

 

実は上記で語られてる中で、決定的に欠けているものがあります。枕やピローのCMを見ていても、それが全く考慮されていない場合が多いのです。

 

それは人は動くということです。

 

単純なことですが、これが非常に大切です。人は動くという視点のなかで、支持面や圧力を考えることで、本当の意味の負担の軽減を考えることが出来ます。

 

支持面で考えてみましょう。

テレビCMでは、接地面が多いほど負担が少ないと主張していました。

それに人は動くという視点を入れてみます。

 

人は同じ接地面でじーーーっとしていると、苦しくなります。なぜなら動けないからです。テレビCMは一瞬の視点しか語られてるいません。確か5分程度なら動かず埋もれていても快適でしょう。しかし時間がたてば立つほど、同じ接地面で寝ていれば苦しくなります。

 

また接地面が多すぎると、実は隙間がピッタリも埋まってしまって、人は動くことができません。だから常にピッタリ身体の全てが床に埋まっていることはおススメできません。

 

接地面で身体の負担を考えるなら新しい定義が必要です。

 

身体の負担がかかりにくい接地面を考慮するのなら

 

適度に接地面に空間があること

そしてその接地面が動きのなかで切り替わっていることです。

 

適度??と言われてもわかりにくいも思います。だからこそ接地面では身体の負担は表現しにくいのです。

 

同じように圧力に関しても考えてみましょう。

いくら圧力が少なからろうが、じーーーっと数時間も同じところに体重がかかっていると不快極まります。

 

圧力も本当に負担がない身体という視点で語ると

 

適度に身体に圧力がかかり、それが絶えず切り替わること。一定にかかり続けてないこと。です。ちなみに、圧力がかけれないと人間は力を抜くことができません。フアフア不安定なところでは身体を床に預けられないのです。

 

また適度という言葉が出てきました。どうやら支持面や圧力という視点で身体の負担を語るのは限界がありそうです。

 

では、何も基準に身体の負担を判断すればいいのか?

答えはこれも単純です。どんな支持面であれ、圧力であれ

 

快適に寝ているか

そして

ゴソゴソ動けているか

 

この二点で判断するのです。考えてみればすごく当然です。圧力や支持面という間接的な視点ではなく、本人の動きという直接的な視点ですから、本人の負担に直結した見方だと言えるでしょう。

 

余談ですが、支持面とか圧力とか、一見科学的のように見える知識のフィルターが物事をわかりにくくさせるのです。もちろん圧力とか支持面という視点もあってもいいのですが、そればかりしか見えなくなってしまうことで、本質が見えなくなるのです。

 

話を戻しましょう。身体の負担は身体のものなので、身体を主として考えること、身体は動くためにあるのですがら、『動き』を中心に据えて考えるほうが理にかなっているのです。

 

はっきり言ってしまいますが、

多少スキマがあっても大丈夫です。むしろも多少スキマがあった方がいいのです。

 

多少圧力がかかっても構いません。むしろ多少圧力がかからないとリラックスできないのです。

 

大丈夫なのは

ずっと同じ絶えず接触面は変わっていくとこ

身体にかかる圧力が変化していること

 

つまり、ゴソゴソ

リラックスして動けているか。

 

に集約されるのです。

 

褥瘡でも結局は同じこと

褥瘡ができるのは圧が同じところに持続的にかかることが問題なのですが、

 

このポイントは

圧が『同じころに』『持続的に』かかるという『』の部分が問題なのですな、圧がかかることばかに焦点があてられています。

 

圧は悪者ではありません。圧がかかることによって、私たりは自分で緊張を整え、また動くことができるのです。圧が味方になるも、敵になるのも動き次第なのです。

 

単純に圧がかかってないから良い

圧を減らせばいい

というのは、あまり役に立つ考え方ではないのです。

 

そもそも万人にあう道具なんてない

みんな身体も動きも状況も変わります。これを使えば全て解決なんてものはありません。その人にあったものを見つけていくことが必要です。テレビCMの甘い言葉は簡単に信用しないほうがいいでしょう。

 

ではまた!!