ぼちぼちでええやん。

人の動きについて根っこから理解したいと思ってます。シンプルラーニング提唱者、キネステティク理事、YOUTUBE「楽な動きの学習会」ブログは癖が強い記事が多めです。

人はそれが間違っていても、今の自分にとって必要だからしている

人は頭でダメだとわかっていても

何故これをしているのか自分でわからなくても

それが必要だからしている

 

緊張が強くても

身体が固くても

 

今の状況の中で

必要だからしてきたことなのだ。

 

だから無理やり

緊張を解いても

身体をほぐしても

実際のところ

 

必要なら緊張をまた強めるし

身体をまた固めることもするだろう

 

自分や目の前の人の動きや行為が

たとえ間違っていたとしても

現実的にしているのならば

 

それは必要だからしているのだ

 

いくら苦しくても

いくら耐えられないものでも

いくら辞めたいと思ったとしても

 

それは自らが必要だから

もしくは

自分の身体が必要だからしていること。

 

そう考えると

苦しさだけを取り除くことだけをしても

 

また苦しくなるのだ。

だって必要なのだから。

 

結局

動きにくくしているのも

足を棒のようにしてたつのも

苦しさを続けるのも

 

本人にとって

必要だからしていることなのだ

 

何も

必要だから、その苦しさを肯定しているわけではない

むしろ

逆だ。

 

動きににくくなって欲しくないし

苦しいものを救ってあげたいと思う

 

だけど

それでも

人はそんなこと関係なく

 

今の状況に必要だからこそ

続けてしまう。

 

現実は

自分にとって必要だから

辞めることは簡単にはできないのだ

 

さらに

必要なものを取り上げると

もっと問題はこじれてしまう

 

その人にとって

それが誰にとっての間違いであっても

その間違いで

物事を対処しているのだから。

 

たとえ

その人自身が必要なものをゴミのように思っていても

その人自身が頭で捨てたいと本気で思っていても

必要だから手放せない

必要だから捨てても、また拾ってしまうのだ

 

結局言いたいことは

 

問題をそのまま解決することはできない。

その問題は必要だから抱えているのだから。

 

問題を捨てても、それは

新しい問題を拾ってくるだけだ

 

問題を抑制しても

問題を強制しても、矯正しても

 

結局

問題が必要なら

また問題を拾ってくるだけなのだ

 

じゃあ

問題を解決したいならどうすればいい??

 

ここまで書いたならわかるかもしれないが

問題を必要としない状況や状態を作ればいい。

 

必要でないなら

問題は再度拾うこともないし

問題を抱えこむこともない

 

この状況を目指していくのであって

問題そのものは本質ではないのだ。

 

問題ではなく、問題を必要としている

自分や状況(無意識も含め)

それを変えていくことが必要なのだ。

 

私たちのすることは

目の前の問題を解決することでない。

 

私たち援助者がすることは

『関係性の再構築をすること』

 

これが大切なのだ。

 

自分と感覚との関係

自分と身体との関係

自分と人の関係

自分と環境との関係

自分と思考や価値観との関係

 

それを豊かに機能していくことで

問題は問題ではなくなっていくのだ。

今まで必要で手放せなかったものが、少しずつ自然と手からこぼれていくのだ。

 

今の関係性でその苦しみが必要ならば

苦しみを直接解決するのでない。

関係性を変えれば、自然と苦しみを手放すことができる

 

今の関係性で、その動きで痛むのなら

痛みを直接解決するのではない。

関係性を変えれば、自然と痛みを手放すことができる。

 

今の関係性で、動けないなら

動きを教えるものではない

無理やり動かせばいいものでもない。

 

関係性を豊かにしたとき、人は自然と豊かに動けるのだから。

 

 

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