ぼちぼちでええやん。

人の動きについて根っこから理解したいと思ってます。シンプルラーニング提唱者、キネステティク理事、YOUTUBE「楽な動きの学習会」ブログは癖が強い記事が多めです。

説明することで、わかったと思い込ませる罠

昨日の記事を教える側の視点で

とらえると

 

※昨日の記事

すぐに解釈しようとしないことが、1番学習できるのです。 - ぼちぼちでええやん。

 

新しい体験なのに

すべてわかってるかのように

相手に説明するのは

 

学習の邪魔をしているだけです。

わかったと思い込ませるだけで

 

本来の体験に向き合う態度

思考力を養う機会

などを奪います。

 

そして行動をするためには

わかってからでないと動かない

癖もつきやすいです。

 

わからないけど、とにかく行動してみる、動く

ということができなくなってしまいます。

 

昨日の記事のとおり

物事を全てわかるなんて

実は不可能なことです。

 

多くの解釈は

抽象化し、現実の複雑さを削ぎ落とし

理解しているだけなのです。

 

僕がセミナーで人に教える場合

説明するために言葉を使うのではなく

 

新しい体験にチャレンジしてもらうために

言葉を使います。

 

僕が提供できることは

どうすれば新しい体験ができるか?

普段とは違う経験ができるか?

ということであり

 

その新しい体験そのものを

解釈して説明するなんてことは

出来ないのです。

 

わからなくても

不思議でも

起こることは起こるし

起こらないことは起こりません。

 

僕はこういう風に考えたら

今まで違う体験ができるよ。

とは伝えれますが

 

それが、なぜ

そういう仕組みになってるのか

は神のみぞ知るってやつです。

 

そんなことは

僕にわかるわけはありません。

 

世の中は

量子論超ひも理論など

知れば知るほど、不可解が深まる学問

だってあるのです。

 

一般的な良い教師のイメージとは

これは、こうだから。

こんな風になってるんだ。

と、一見わかりやすく説明してると思いますが

 

長い目で見たときに

 

それは

ほんとに「生徒」が深く物事を探求するための

助けになっているのか?

※医療、介護職なら

「生徒」をスタッフでも、利用者でも、患者に置き換えてもいいです。

 

それとも一つの説明に納得させてしまうことで

物事の色々側面を見れなくなってしまうのか?

 

と、よく考えてみることをオススメします。

 

説明して納得する。

当たり前に思いますが

 

他人から自分の体験を説明され納得させられる。

これほど、自らで学習するために

不必要なことはありません。

※相手の思考力を奪うには効果的ですが、、、

 

もっと

生徒自身の感覚を

 

もっと

生徒自身の思考を

使う機会を提供すること考えてみてください。

 

わからないことを

右往左往、試行錯誤

できる機会を提供してみてください。

 

わからないことを

わかったと安易に思わせて

探求することをやめさせ

視野を狭めないようにしてみてください。

 

 

短期的な答えを提供してわかったつもりにさせてるより

自分と向き合う態度を養うことがとっても大切なのです。