ぼちぼちでええやん。

人の動きについて根っこから理解したいと思ってます。シンプルラーニング提唱者、キネステティク理事、YOUTUBE「楽な動きの学習会」ブログは癖が強い記事が多めです。

「科学的である」とは何なのか?

こんばんは〜

今しがたニュースで、ノーベル医学生理学賞を本庶佑氏さんが受賞しました。

 

そのニュースで本人が語られた言葉で印象に残ったものがあります。

 

「研究は、何か知りたいという好奇心がないといけない。そして、簡単に信じない。よくマスコミの人は「ネイチャー、サイエンスに出ているからどうだ」という話をされるけども、僕はいつも「ネイチャー、サイエンスに出ているものの9割は嘘で、10年経ったら残って1割だ」と言っていますし、大体そうだと思っています。

 

まず、論文とか、書いてあることを信じない。自分の目で確信を持てるまでやる。自分の頭で考えて納得いくまでやる、というのが私のスタンス。」

 

いや、ほんとそうだぁーと。この人は科学者だなぁと思いました。

 

記念ではないですが、少し前にメルマガに載せた内容を掲載します。

 

動きのメルマガ

「科学的である」とは何なのか?

 

僕たちは、科学的であることにある種の信用があります。

 

全ての人ではもちろんありませんが、

幽霊よりも、科学を信じ
祟りよりも、科学を信じ
予言よりも、科学を信じます。


現代の実に多くの人が科学を信じています。

ではその「科学」とは何でしょう。

何が科学であって、 何が科学でないのでしょう。

明確な線引きができますか?

あれだけ科学を信じているのに、科学とは何か?と言われてもあんまりピンとこないものです。

 

果たしてあなたの信じている科学は
本当に科学なのでしょうか?


多くの人は数字やデーターを科学だと信じています。しかし、それは科学ではありません。
数字やデーターは科学そのものではなく、ただの道具なのです。

 

これまでの歴史をみてみましょう。多くの人が科学を探求して行きました。

 

例えば星を探求したもの。最初は地球が太陽の周りを回っていることがわかりませんでした。そこから色々なデータを集めて、地球が惑星であることを実証しました。

 

地球と太陽の関係性がわかり 、また遠くの星の成分も光のデータを分析する事で、成分がわかるようになりました。

 

実に科学的です。データーと分析の積み重ねて、真実を見つけています。 今では何万光年先のこともわかるようになってきました。

 

しかしですよ。


とっても科学的なことですが、実際に何万光年確認したことはないのです。

 

だれ一人として宇宙の始まりであるビックバンを実際みたこともないし 、だれ一人としてブラックホールを経験した人はいません。

 

あくまでも観測に基づいた想像の世界です。宇宙ってとっても広大で不確かなものです。しかし、それでなぜそれで研究が科学的だと言えるのでしょう?

 

科学とは「確かなもの」という印象があるかもしれません。 しかし、宇宙のような、よくわかない事でも科学的なことはあります。

 

実は科学的ということは、データーそのものではなく データーを集めようとする「態度」にあります。

 

わからないものを、どうにかしてわかろうとする事が態度が、詳細に観測し、データーを集め、情報を集めるのです。そして常に検証作業をする。それが科学的なのです。わかったつもりにならず、常に物事を理解しようとする探究心、態度こそが科学なのです。

 

データーや情報そのものが科学的がどうかは扱う人によって変わります。理論が確立されているから、それを信じて、対象を確認することなくやり続けるのはエビデンス(科学的根拠)にもとづいていると思っている妄想です。

 

今も科学者は、まだ見ぬ未知の星空の世界を理解しようとして、観測や測定を繰り返し、色々なところから情報を集め探求しています。

 

既存のデーターだけで、この世界を理解しようとすると、その時点で科学者は科学者でなくなるでしょう。 

 

データーの正しさは常に検証を続けることしか実証できません。

 

データーの正しさは
えらい先生が言っていたから?
昔から多くの人が認めていたから?
素晴らしい理論だから?
教科書に乗っているから?

 

これらを基準に判断するのなら、とんでもない誤解です。 これは過去の科学者が陥ってきた罠なのです。

 

科学的であろうとすることとは、常に、これらと向き合うことを指しています。「常に当たり前を疑え」というのは科学の世界でも合言葉になっているのです。

 

難しい教科書を読んで物事を理解したつもりであれば、それは科学ではありません。
偉い先生の話を聞いたから、科学的でもありません。

科学ならば、教科書を参考に、実際に検証するところまでが科学です。

 

これは人にアプローチする時も同じ事が言えます。

 

人もまた宇宙と同じように不確かなものですとっても複雑でわかりにく存在です。 それなのに、データーを並べてわかったつもりになるのは、全く科学的ではありません。

 

たとえば、リハビリの世界でも同じです。人間の歩行はこのように歩くと教科書に書かれて
ヒールコンタクトしながら加速度が〜と本に書いていても、実際にそうしている人はほとんどいません。僕らは実に多様な歩き方をします。いつも教科書通りに歩きません。

 

数時間前の歩行はどんな感じでしょう?スマホをもち、考えごとをしならが、またはトレイに行きたくでちょっと前かがみ気味で小刻みに歩いていたかもしれません。

 

早く歩けたら、転倒リスクが下がるというデーターが出ていますが、早く歩ける人でもこけるし、無理やり変な姿勢で早く歩かせても、どうにもなりません。

 

特に現在の転倒予防の基準は科学を誤解しています。全国的に進められている介護予防事業ではかなりデーターに振り回されて無茶苦茶です。

 

例えば広く日本中で行われているバランステストは前方にリーチした事が増えたらバランスが向上して転倒しにくくなるデーターがあるから測定しましょう。

 

しかし実際に現実を検証すると前後は得意でも極端に横方向が苦手でこける人もたくさんいます。そんな人に前側のリーチをテストしても何も見えてきません。それなのに、前方にリーチし続けても前にはより伸ばせるかもしれせんが、その人はいつか横にコケるでしょう。

 

同じように大腿四頭筋の筋力が高い人は、歳をとっても歩けるというデーターがあるみたいで、大腿四頭筋の筋力を測定し、鍛えようとします。

 

しかしこれも実際に検証すると、大腿四頭筋が強い男の人がぎこちない歩行をしている傍、骨と皮のおばあちゃんの方がスタスタと歩いていることも珍しくありません。そんな現実を無視して大腿四頭筋の筋力を測定し続けます。筋力を鍛えながら歩けない人が山ほどいることにどれほどの人が疑問を持っているのでしょうか。

 

それらは科学的なアプローチを誤解しているのです。 科学的なアプローチとはデーター通りにアプローチする事ではありません。

 

この筋肉を鍛えたら、歩ける人が多いから、このアプローチをしましょう。

この介助方法なら腰痛を予防できるデーターがあるから、このやり方で統一しましょう。
この体操していたら、立ち上がりできるというデーターが出ているから、、、

 

はっきり言ってそれでは役に立ちません。
データーに振り回されてるだけです。ごくたまに運よく役にたつことはありますが、それ以上のことはありません。

 

それは健康番組をみてこの先生が、この運動をすればいいからと言ってなんとなくやり続けることとなんら変わらないのです。

 

科学的な態度とは、まず目の前の人と向き合い、たくさんの情報をわかない中で集めるのが先です。

 

絶えず目の前の人の情報を集め、アプローチしながらも情報を集め、またアプローチしてさらに情報を集める。常に現実との検証作業が必要です。そうして少しずつ発見と気づきを繰り返しながら関わる事が科学的なのです。 

 

それで、上記の事が役に立つならやってもいいし、しかし必ずやりながら検証作業が必要です。これをして本当に歩けるようになるのか?本当にバランスがよくなるのか?筋力が上がれば問題は解決するのか?など常に検証を行くのです。


科学とは、不確かなものを少しでも知ろうとする態度です。不確かなものを完全にわかったと思って探求をやめた瞬間に人は科学的では無くなるのです。

 

私たちは、不確かなものを「知ろうと」します。しかし「完全にわかった」という瞬間に、不確かなものを理解することは止まってしまうのです。

 

終わりのない、わからないと追い続けることこそが、結果的に一番わかる。科学とは追っても、追ってもたどり着けないものを追い続けることなのかも知れません。

 

間違っても、データーを不確かなものに当てはめて、わかったつもりになる事ではないのです。それは科学的なアプローチではなく、自分は科学的なことをやっている思い込む妄想的なアプローチなのです。

 

常に現実と向き合い検証する態度こそ科学的なのです。
 

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