自分がこの世界で存在していることを許す
複雑な問題も最終的に答えはいつもシンプルなものです。
多くの問題は、自分自身の身体が自分で作っています。
なぜ歳をとったら動けなくなるのか?
歳をとったことが実は問題ではありません。
100歳でも動ける人がいれば、80歳でも動けない人がいます。
実は自分が作り出した癖で動けないだけです。
腰が痛い人も、腰痛になったのではなく、腰痛をしているのです。無意識かもしれませんが、自分の腰です。自分の筋肉でコントロールしています。他の誰でもありません。
知らない集団の場で緊張するというのも、実は自分が勝手に緊張をしているのであって、自分が緊張をやめるしか解決できません。
存在や許すという言葉が宗教的だと思われたら、それは違います。
これは態度の問題です。
多くの問題は自分がここに存在していることを許すことで解決されていきます。
自分の習慣的な思考、例えば自分はダメな存在だ、未熟者だ、価値がない。などや
自分の習慣的な動き、例えば無理や動く癖や、身体の一部だけを極端に使う癖、呼吸が浅い癖など
があまりにも自分にこびりついて
まるでこの世界の常識にのように捉えてしまうのです。
そして常に自分を押さえつけ、自分の本来もっている能力を発揮できていません。
しかし、ただ自分がこの世界で存在しているのでことを許せれば
実に多くのことを気づきます。
自分は価値がないとか、あるのか、そんかことどうでもよくなります。そもそもわざわざ価値があると思ってる人は、自分に価値があるとかないとかで悩まないし、自分が価値があるって思おうともしないのですから。
人に認められたい願望は、自分を自分で認められないから、他者に認めて欲しいので、そういった自信のなさも解決するでしょう。
自分の動き自体変化します。
実は重力が姿勢をとることを助けてくれていることに気づきます。邪魔者ではなかったのです。
呼吸が、空気を吸ったり、吐いたりすることで、全身の活動を円滑にすることに気づきます。
そもそも自分の身体自体が自分がおもっている数倍も生きようとしていることを気づくのです。
僕らは特別なことはしなくていいのです。
生きようとする自分を、身体をそのまま、まるっと、そのまま許してしまえばいいのです。
いつも、無意識に自分を抑圧しています。それも思っている以上に。
ただ、自分がこの場に存在していることにオッケーを出して下さい。
普段の思考や癖は自分が作り出したまやかしです。それらを手離すこと。それをただ許すこと。
これは、シンプルラーニングのテンションコントロールの究極系といってもいいでしょう。
自分のまま動くことを許すこと
その場にそのまんまでいることを許すこと
息を吸うことを許すこと
誰かの前でも、そのまんまの自分でいることを許すこと
その時、自分の身体と心は、より自由に豊かに機能していくでしょう。