ぼちぼちでええやん。

人の動きについて根っこから理解したいと思ってます。シンプルラーニング提唱者、キネステティク理事、YOUTUBE「楽な動きの学習会」ブログは癖が強い記事が多めです。

質の高いハンドリングとは?

今週末には西宮でシンプルラーニングの練習会を行います。

 

テーマは「ハンドリングを磨く」です。

 

それを記念してではないですが、おそらく練習会でも話すことになるであろう、「質の高いハンドリング」とは何か?をテーマに書いていきたいと思います。

 

ハンドリングがうまいという何をイメージするでしょうか?

 

さくさく人を動かしたり、とてもスムーズに相手の動きをサポートしたり。

そんな風に思うのかもしれません。

 

しかし実は全くの反対です。

 

ハンドリングは、サポートされている人自身が学ぶために行うものです。

動きの練習するなら、当然失敗や混乱することもあります。

 

学ぶ本人が失敗や混乱するのに、相手の動きをハンドリングしようとしてスムーズなのは、実はとっても不自然なことです。

それはただ綺麗に動いているだけかもしれません。

 

相手の動きの学習を手伝うなら、ハンドリングしながらともに失敗し、相手が自ら学ぶのを待ち、また少しずつ試行錯誤していく必要があります。

 

ハンドリングする側が、相手の学習ペースに合わしていくからこそ、「学習できるハンドリング」が可能になります。質が高いということは相手のためになることです。相手が動きを学習できるようにハンドリングをするのが、質の高いハンドリングです。

 

もちろん、ハンドリングが単純に下手でうまく行かない場合もあります。しかし起こってることは全く違います。ハンドリングの上手い人は、相手がうまく行かないことを受け入れ、相手が学ぶのを待ち、少しずつ動きを手伝います。そのようなかかわりができるからこそ、人は学ぶことができます。

 

一方的にスムーズに動かすだけでは人は学びません。それは肉の塊が動いたに過ぎないのです。そのようなハンドリングは見た目は一見綺麗かもしれませんが、質が高いハンドリグとは言えません。

 

一般的には、スムーズではないハンドリングを見ると、とても下手なように思われるかもしれません。

 

一見下手な人も上手い人も同じように見えます。

(もちろん、見る人がみれば、ハンドリングの上手さは一目瞭然です)

 

そして中途半端にスムーズに相手を動かしているほうが上手く見える場合もあります。

 

だからこそ、一般的にわかりにくいのですが、大切なのは動きを学ぶためにハンドリングをしているのであって、スムーズに動かすためにハンドリンをしているわけではありません。

 

学習するハンドリンを学ぶならば、相手の変化を繊細に感じ取り、そして相手が自ら学べるようなハンドリングに変えていく必要があります。僕らはより人を繊細に扱う練習をします。

 

たとえ、周りからは下手にみられれても、ハンドリングされている本人は一番よくわかっていますから。

 

では今週末、みなさんよろしくお願いします。

みんなで学習するハンドリンを磨きましょう。