ぼちぼちでええやん。

人の動きについて根っこから理解したいと思ってます。シンプルラーニング提唱者、キネステティク理事、YOUTUBE「楽な動きの学習会」ブログは癖が強い記事が多めです。

久しぶりのシンプルラーニング・ベーシックコース

コロナのおかけで

何回か中止になったセミナーですが

やっと再開できることになりました。

 

今回はありがたいことに

ほとんどがリピーターでした。

 

新しい人もまた参加してくれると

嬉しいですね〜

 

気楽に、楽しく学べるので

また状況が許したら

参加してみてください。

 

よいコースでした!!笑

出来るようになりたい?えっ、もう出来ますよ?

10年以上

セミナーをやって思うことは

 

セミナーを開催することは

ほとんどの人が出来ると思うことです。

 

実はセミナーができない人間なんてほとんどいません。

 

シンプルラーニングであれば

実践者クラスまでいくと

少なくても何らかの目から鱗の内容を何個か(数十個)

はあります。

 

キネステの受講も同様でしょう。

 

ネタもあるし

人と雑談さえ出来れば

既にセミナーはできるのです。

 

できない、できないと思うから

緊張し、喋れないと

思ってしまいます。

 

慣れれば雑談と同じです。

むしろテーマが決まってだけ

雑談よりも簡単です。

 

それに緊張したって別にいいしね。

 

ただし

いつか出来るようになりたい。

と思わないほうがいいです。

 

出来るようになりたい

の裏返しは

今は出来ないから、出来るようになりたい。

 

と言い換えれます。

自分に今は出来ない!と言ってるのと同じ。

 

そうじゃなくて

今も出来る!!のです。

 

誰かに習わなくても

そもそも皆ある程度、数回もすれば

それなりに上手に出来るようになります。

 

出来るようになりたい。

ではなく

(今も出来るし)もっと今より上手くなりたい。

 

と思うことをおススメします。

 

もちろん、最初から完璧には行かないかもしれません。

 

だけど

出来るようになってからする

なんて

1番遠回りです。

 

今やりゃーいいだけです。

そして少しずつ磨けばいいのです。

 

そもそも

すでに出来るのに

出来るようになるまでって

いつ?

どの時点で?

そんなロスが1番出来るようになりません。

 

僕も何百回とセミナーやってますが

ただやりながら

もっと上手くなりたいと思うだけです。

結局それしかありません。

出来ますが、完璧になんてできた試しはありません。

 

みんなすごい能力あるのに

自分自身で認めてないだけなんですよ。

マジで。

 

出来ないと日和るのは

楽かもしれませんが、自分を認めるこができないので、実は苦しいのです。

 

出来ると言って、そう決めて

失敗したからと言って

そんなのは近い将来できるための

プロセスでしかありません。

 

腹を括るのは覚悟がいるかもしれません。

ただ、腹括って、ハッタリかまし

上手くいかなくても

だれが責めますか。

 

それで責めるやつは

たぶん羨ましく自分のことをみてるやつです。

そんな生き方を認めたくないから、失敗してほしいだけです。

 

たとえボロボロでも

僕はカッコイイと思います。

 

それに慣れれば

出来ないと主張する自分より

恥かいても、ズッコケても

次はもっと出来ると

照れながら笑ってるほうが楽です。

 

他人の僕がすごいと思うのに

自分のことは自分ですごいと思うことに

怖気付かなくていいです。

 

別に頑張る必要なんてありません。

たた認めることです。

そこに勇気はいるかもしれません。

 

自分がすげぇ可能性をもってると

認めることは怖いかもしれません。

だけど、地球が回ってるのと同じぐらい事実です。見ないふりをやめるだけです。

 

自分がすごいということに

ビビらず腹を括りましょう。

 

僕も同じです。

教えてもらわないと出来ないと思ってもらうか、自分で発見し解決しできると思ってもらうか

教育を考えた時に重要なのは

一体何を教育してるのだろう?

ということだ。

 

方法ややり方などの答えを教えるのは簡単だが

それは言われたことをやってるに過ぎない。

 

逆に

 

方法ややり方を教えるのではなく

解決できる方法を自分で出来るようにサポートしていく

 

これが教育だと思う。

 

教えてもらわなくても

試行錯誤することで

自分で解決できる

少なくともベターな答えを見つけることができれば

 

自分の可能性を自分で見つけていくことができる。

 

教育とは何か?

 

答えを教えるのか?

それとも

人を育てるのか?

 

後者は時間がかかるかもしれない。

一見無駄なこともあるし

じれったい気持ちにもなるだろう。

 

ただ、そういったプロセスを経験することで

人は成長していく。

 

そう、答えではなく

プロセスを重要視するのが

本当の教育だと思う。

 

科学を語るなら、自分のスケールをはっきりと

ニュートンの運動法則は

アインシュタイン相対性理論では矛盾が起こる

 

逆にいうと

アインシュタイン相対性理論

ニュートンの運動法則では矛盾が起こる

 

どちらも科学としては有名な理論だが

なぜこのような矛盾が発生するのかというと

 

スケールが違うからだ。

スケールとは「物事を捉える物差しの違い」

 

ニュートンは地球上の範囲を物差しとして使い

アインシュタインは宇宙レベルを物差しと使う

 

地球上では空間や時間の歪みなんて

ほとんど確認できない誤差が

宇宙レベルでとらえるとはっきりとした差になる

 

それが

ニュートンアインシュタインの理論の矛盾を生む

 

これは科学を語る上で

欠かせない視点で

 

自分のスケールが地球規模なのに

相対理論だと細かくなりすぎて使えないこともあり

(まったく使えないことはない、ただすごく複雑)

 

逆に

自分のスケールが宇宙規模なのであれば

ニュートンの運動法則は使えない

 

科学はスケールが変われば

まるでその普遍的なルールが変わってしまう。

 

だからこそ

今自分の扱う物事が

どのスケールなのかを明確にしないと

役にたつ理論も役にたたなくなってしまう。

 

科学=正しいではない。

科学は物事を上手く使うための道具にすぎない。

 

ちなみに

ブラックホール

アインシュタイン相対性理論でも破綻が生じる

 

またミクロな量子論の正解でも

アインシュタインの理論は破綻が生じる

 

世界の科学者は新しいスケールの中で

新しい法則を見つけるようと

みんな頑張っている。

 

ダークマターとか

超ヒモ理論とか

とても興味深い

 

しかし

人類はこの世の宇宙の理が全てわかることはできないかもしれない

だけど、自分のスケールのなかで

上手く科学を使えばいい。

 

逆に

スケールを磨けば

今使っている科学的法則は破綻し

新しい科学が必要になるかもしれません。

 

科学をより深く扱うことができるとするなら

それは自分のスケールを繊細にすることだ

そうすれば、誤差は本質的な違いになり

新しい科学が出現する。

 

科学は普遍的なものではない

情報を扱うスケールごとに

全く違う科学の世界が存在している。

 

それが科学なのだ。

 

科学的に正しいと妄信するものではない。

あなたの科学と、私の科学は違うのかもしれない。

 

科学を比べるのではなく

相手のスケールと自分のスケールの違いを理解しないと

分かり合えることは難しいのかもしれない。

 

 

速く、長く動くなら、筋力よりも効率化を

これも誤解してる人が多いが

速く、長く動くのに大きな力はいらない。

 

また車で例えよう。

戦車はめちゃくちゃパワーがあるが速いわけではない。

 

軽自動車はパワーはないが

高速道路を法定速度で走る分には充分だ。

 

ゼロヨンって知ってますか?

スポーツカーなどの改造車で

0から400mをどれくらい速くかけぬけるか

競いあうものだ。

 

それはビュンと、とても速いけど、短距離にものすごく力を使う

 

目的地に速く行だけなら

ゆっくり加速して、スピードがでれば

それを維持していけばいい

 

そうすると

もっともエネルギー効率がよくなる

 

つまり

少ない力で加速すればするほど

 

遠くまで

疲労も少なく行くことができる。

 

戦車のように身体を大きくして、力強く動いても

 

スポーツカーのように、たくさんの力で加速したら速いけど疲れてしまう。

 

結局

日常生活は軽自動車のような

効率的な車が使い勝手がよい。

 

老化というのは

使えるガソリンに制限があるのと同じ。

若いころと同じようにはいかない。

 

その時

筋肉を鍛えて戦車になるか

無理やり動いてスポーツカーになるか

楽に効率的に動いて軽自動車になるか

 

何に乗れば幸せになるのか

明確だと思う。

筋力だけでなく、コントロールも必要だ

いくら馬力の大きい車に乗っても

運転手が下手なら

全く意味がない。

 

例えばブレーキと

アクセル両方踏んでるような場合

動きはすごく重くなるばかりか

その力で車は壊れてしまうだろう。

 

それと同じで

いくら筋力をあげても

それをうまく操作できなければ

 

自分の筋力が自分の動きを妨げて

それが痛みに繋がる

 

鍛えただけで

動けるようになる

というのは幻想でしかないのだ

 

自分の中の運転手を

育成しなければ

動けるようにはならない

 

逆にいうと

筋力がなくても

軽自動車であって

 

操作がうまければ

スイスイ動くことも可能だ。

 

行きたいところにいくには

車はランドクルーザーではなくても

軽でいい

 

それよりも

運転手が重要なのだ。

JMA キネステティク再開!!

約3か月ぶりのキネステティクを再開しました。

 

ブランクは全くなく

むしろ、よりわかりやすく

 

誰にでも

とっつきやすいものになりました。

 

ただマスクは少し喋りにくいですね〜

 

新しい視点

新しい価値観

新しい発見

 

たくさん学んでいます。

 

JMA認定基礎キネステティク

コース

 

おススメです!!

 

ホーム(コース日程) - JMA (日本動きの学習協会)キネステティク

 

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