ぼちぼちでええやん。

人の動きについて根っこから理解したいと思ってます。シンプルラーニング提唱者、キネステティク理事、YOUTUBE「楽な動きの学習会」ブログは癖が強い記事が多めです。

正しい姿勢よりも、あり方を

人には外側と内側があるとしよう

外側は価値観や正しさで

内側が自分のあり方だとする

 

どんな正しい姿勢を無理矢理作っても

自分のあり方が変わらないければ

 

外側だけ変えて

内側が変わってないようなものだから

続くわけがない

 

人は

悲しいとき丸くなり

緊張してるとき固くなり

くつろいでいるとき、柔かくなる。

 

嬉しくなると弾むような緊張を高め

気持ちいい風はリラックスし

穏やかな木漏れ日はなんともいえない楽な呼吸を生み出す

 

これらは

自分の外側から作られたものではない

周囲や状況のことを

内側がどう受け取ったのかで決まる

考えてできることでない

 

いくら心地よい風でも

それを受け取らなければ、緊張しっぱなしだし

 

くつろいでいても

その状況に馴染めなければ

緊張し続けるかもしれない

 

そう考えると

私たちの姿勢とは

内面から作られるものである

 

外側の自分だけで

上手く取り繕って

見せかけることはできるが

それは苦しいだけなのだ。

 

詳しくみると

自分の内側。つまり自分のあり方が

この世界に対して

自分の身体に対して

 

どう向き合うか

どう受け取るのかが重要

なのだ。

 

全ては情報なのだけと

その情報に向き合って応答するか

拒否していくか

 

応答するにしろ

自分を苦しくしたり

しんどい価値観にとらわれてないか

 

逆に

この世界や

周囲や自分との楽な関係性を構築するために

無理矢理自分を押さえつけないか

よくある楽じゃないといけないという押し付けになってないか。

 

あり方とは

何かの正しさを強要することでなく

 

自分がこの世界と繋がってることを

そしてこの世界があるからこそ

生きていくことを許すこと

 

どんな自分でも構わない

存在してることそのものを

生きてる、ということを

ちゃんと許すこと

 

そんなあり方を探求していくうちに

自然と姿勢は変わるのだ

 

なんか宗教みたいなように聞こえるかもしれないが、むしろ宗教とは逆の発想なのだ。

 

経典を信じるのではなく

自分を信じるのだから

 

真反対のものは

一見似てるように思えるかもしれない

しかし、それは

似て完全に非なるものだ。

 

話を戻そう

 

この世界は厳しくもあるが

反面

この世界があるからこそ生きていける

 

無理矢理作られた姿勢は必要ない

外側を無理に作ると

内側を抑制されてしまう

 

だからこそ

正しい姿勢や動きを手放して

内側の自分を許してあげれば

自然と気持ちよい姿勢になれる

 

自分の内側が

この世界に適応しようと

自然にしてくれる

 

適応すれば

今度は

世界が助けてくれるのだ。

この世界に生かされていることを許せばよい。

 

外部の正しさを構築すると

内部である神経系は抑制される

いつまで世界と適応出来ず

正しさと苦しさの中でしかいきていけなくなる

 

僕らにできることは

正しさを伝えるのでなく

正しさの枠を広げてあげたり、

ゆるくしてあげることなのだ。

 

そして内側の自分を

信じてあげることなのだ。

耳を傾けてあげることなのだ。

 

そうすることで

外側の抑制が外れ

神経系は世界と適応しようと活動し始める

それがあり方が変わるということだ。

 

どう変わるかは

わからない。

だけどもきっと今より世界と適応した自分になる。

 

それは今まで自分が許容したものではないかもしれない。

そこに自分では知らない

新しい自分があるかもしれない。

 

それはすでに

生き方そのものが変わるということ

なのだろう。

 

その時自然と姿勢も変わるのだ。

姿勢は形というよりも

生きている状態そのものだから。

 

外側だけを変えても

上手くいかないのは当然なのだ。

あり方を見つめていかないと。