ぼちぼちでええやん。

人の動きについて根っこから理解したいと思ってます。シンプルラーニング提唱者、キネステティク理事、YOUTUBE「楽な動きの学習会」ブログは癖が強い記事が多めです。

動きと世界の理(ことわり)

理(ことわり)とは

この世界のルールであり、規約である

 

一見私たちの生きている世界では

理が変わらないと思うかもしれない。

 

だけどもし

理が変わっているのだとしたら?

 

どう私たちの世界を、そして人の動きを捉えていけばいいのでしょうか??

 

ちょっと大きいテーマだけど

ゆるく考えていきましょう

 

私たちが動きを扱う時、意識していないかもしれないが、どの範囲をとらえるのかというスケールがある

 

相手の動き手伝う時

つまり、タッチやハンドリングしている時に

 

動きの学習をしてない人のスケールは

丁寧にしても10センチから3センチ程度になる。

 

大雑把に思えるかもしれないが

これでも、結構マシなほうだ。

 

例えば椅子に座っている人の

立ち上がりの介助をするのに

立つところまで、一気に、一度に動かそうとする

 

これは

もう50センチから100センチの

精度だ。

 

寝返りでも一度に

くるっと

ひっくり返したり

 

おき上がりでも

膝の後ろに手を入れて

スピンするような起こし方

 

をしている人は

少なくとも30センチ以上のスケールで

動きを捉えている。

 

ちなみにこのまえ

インスタみてたら、寝たきりの人を介護学校で

一度にスピンをさせてくるっと起き上がらせる方法を指導していたものが載せていたが、

悪い意味でやばかった、、、

(ちなみにスピンも機能的な動きだか、一度に寝てるところから、起きるなんて寝たきりの人にブレークダンサーなみの動きを強要してるようなもの)

 

それは置いといて

動きの学習を積んでいくと

そのスケールがどんどん繊細になり、小さい単位になる。

 

先ほどのスピンをするような介助のレベルなら

少なくとも3センチ以上

 

さらに動きの学習を積むと

1センチ

 

さらに動き学習を積むと

0.1mm以下

 

くらい扱う精度が違う。

 

当然扱うスケールが小さいほど

精度が高い

 

これまでの話は前にもしたような気がするけど

本題はここからだ

 

3センチ以上の人にとって

0.1mm単位の変化って

どう扱うでしょう?

 

3センチは

300mmだけど、

それよりもさに小さい0.1mmの

世界は3000分の1のスケールなので

 

3センチのスケールの場合

0.1mmの変化なんて

単なる誤差になる。

 

0.1mmのスケールの場合は

0.1mmの変化は大きな変化なのに、だ。

 

つまりスケールが違うことにより

変化は誤差として認識されないか

大きな変化として扱われるか

という違いが生じる

 

例えそれが同じ変化だとしても

3センチスケールなら誤差で

0.1mmスケールで捉えると

明確な変化なのだ。

 

さらに

ここからが重要なのだけど

 

扱うスケールの違いで

現象が変わるのなら

 

扱うスケールの違いで

その物事のルール

つまり物の理(ことわり)が変わる

 

まったく違う性質になる

ということだ。

 

私たちの世界は

物の見方を変えることは

視点の違うから、違って見えるとか、そんなレベルではなく

視点、つまり扱うスケールが変われば

そのものの法則やルール、性質さえも変わってしまうのだ。

 

そんな馬鹿げた話を、、、

と思うかもしれない。

 

だけどみんなが大好きな

科学

がそれを証明している。

 

前のブログにも書いたが

扱うスケールが違うと世界が変わる? - ぼちぼちでええやん。

 

通常私たちの運動には物理学を用いる

これはアイザックニュートンによる運動の法則で理解して扱うことができる。

 

慣性の法則とか

加速度の方程式とか

聞いたことないだろうか?

 

一見

ニュートンの運動法則という

ルールがこの世界の理を表しているように思える。

実際私たちの生活で起こる現象の

多くを説明できてしまう。

 

 

しかし

これはスケールを変えてしまうと

説明できないことが

山のように増えてしまう

 

例えば光について

ニュートンの法則では

説明することはできないのだ

 

光はその速度ゆえに宇宙規模で考えなければいけない現象だ。光を知ろう思うと宇宙について考えると必要がある。

 

ものの見方を宇宙というスケールに変えると

質量は空間や時間を、歪める。

そこにある物体も、地球からどれだけ離れているかで時間の流れも変わる。

 

実際に高い山脈にいたり

新幹線に乗っている時

時間の流れは僅かに変化している。

 

それが宇宙規模で起こってるのだから

僅かな変化も無視できなくなる。

 

そうなると

まるでルールが違う

スケールが違うだけで

物の理が全く違ってしまうのだ

 

ニュートンの法則とは

あたかも違う現象を観測できる。

 

もちろんこの地球上では

小さい変化など、誤差なのだ。

ほとんどの場合はニュートン物理学という

高校レベルの話で解決できる。

 

だけど

スケールを広めて

宇宙規模で観測したとき

まったく違う動きをしていることに気づく

その理論を立てたのが

アインシュタイン相対性理論

 

いやいや、普段時空の歪みなんて

小さいすぎるから

そんなの気にするだけ無意味でしょ

 

と思うかもしれないが

そんなことは全くといってない。

むしろスケールの違う視点をもつからこそ

新しい技術革新が生まれている。

 

例えば

核エネルギーは

相対性理論をもとに作られているし

(核の賛否はここでは話しません)

 

逆に

量子コンピューターなんて

今のコンピューターが比にならないぐらい

高性能なコンピューターを生み出そうとしている

 

これらは

スケールを詳細にしたり

逆により拡張したりすることで

作られたものだ。

 

言いたいことは

動きだけでなく

私たちの世界そのものがスケールを変えることで

全く違う顔を見せるのだ。

 

動きも私は

同じ性質があると思う。

 

ちなみに

ニュートンが役に立たないわけてばない

ニュートン物理学がない時代は

ほとんどの物事は

超常現象として処理されていた

 

だけどニュートン物理学

のスケールは

超常現象を物理的な現象に変えた

 

そんな風して大きな役割を過去も今も果たしている。

 

話をハンドリングに戻そう。

ハンドリングをニュートンアインシュタインとして例えると

(ちなみ30センチとか0.1mmというのは単なる例であり、わかりやすく表現したものに過ぎない。実際はより数値は前後する)

 

30センチ以上のスケールの世界は

超常現象と似ていて

動きを思い込みとしてとらえてしまう

 

3センチ以上のスケールの世界は

ニュートン物理学として

動きをロボットのようとらえてしまう

 

1mm以上のスケールの世界は

アインシュタイン相対性理論として

動きを生きものとしてとらえてしまう

 

01mm以上のスケールの世界は

超ひも理論として

動きをプロセスとしてとらえてしまう

 

ここでは

単なる例に過ぎないが

スケールの違いで

動きのルールや法則も変わる。

 

ロボットとしてとらえるのと

生物としてとらえるのとでは

関わり方も全く変わってしまう。

 

ロボットなら自ら動き発見したり

反応していることはしない

それは全て誤差として扱われる

 

そして一方的に教え動かすのが

そのスケールのルールになる

 

一方、生きものなら

自ら動きを発見したり

反応するから

 

このスケールでは

相手の動きと一緒に動いていく必要がある。

そういうルールに変化する

つまり理が変わる

 

ちなみプロセスまで昇華していくと

現象そのものではなく

全体の関係性がルールになる

プロセスを豊かにすれば

変化はおこる

 

話は長くなったが

そろそろまとめましょう

 

世界にもスケールが変わるとルールが変わるように

動きにもスケールがあってルールが変わる。

 

動きの場合は

繊細を深めること。

繊細に扱うことができた瞬間

 

誤差は誤差ではなくなるのだ。

 

そして

目の前の動きは

ルールを変えて応答する

 

結局何が言いたいか?

 

相手に触れるスキルや

ハンドリングを磨こう。

それができないとスケールを変えることはできない。

 

動きの理を変えることは

できないのだ。

 

繊細なスケールそのものが

新しい世界の扉になる

誤差を繊細に捉えると

新しい理に変わる。

 

理が変わるということは

世界のルールさえも変わるということだ。

 

さあそろそろ

ニュートンの世界から抜け出す時期ではないでしょうか?

 

いつまでも今の理の中だけで

動きを支援しなくてもいいのです。