尊敬なんて、憧れるほどのものではない
多くの人が尊敬されたいという願望を持っています。ぼくももちろんあります。
あの人
すごい!
素晴らしい!
あの人みたいにできるようになりたい!
なんて思われたり、言われたりすると結構心地よいものです。
しかし、僕が言いたいのは
尊敬されても、人の価値は一ミリも上がらないという事です。
ちょっとアホな例えで申し訳ないのですが、例えば崖に2人の人がぶら下がってるとしましょう。
1人はとっても尊敬できる人。以前その人の本を読んでとても感動した人。1、2度会った程度ですが、有名な先生です。
もう1人は、いっつもアホな事ばっかり言ってる友達です。そればかりか、いっつもどこか抜けてますが、一緒にいると楽しいです。
この状況で1人しか助けられないとしたら、どちらを皆さん助けるでしょうか?
全てじゃないと思いますが、たぶん、アホな事ばかり言っている友達を助けると答える人が多いと思います。
このように考えると、尊敬される事って実は思っているよりも、価値がない事だと思いませんか?
もちろん尊敬されるって事は悪いことではないです。尊敬されないよりも、された方がいいでしょう。
しかし、人間同士の付き合いにおいては、尊敬されるかどうかよりも、もっと大切なものがいくらでもあります。
多くの人は尊敬されたいという思いで、無理をしたり、大きく見せたりします。尊敬される人を必要以上に嫉妬したりすることも珍しくないです。それら僕は虚しい事だとおもうのです。
本当に人に大切とされたいなら、尊敬されるよりも、その人と一緒の楽しい時間を過ごしたり、たまに迷惑をかけたりしながら、頼ったり、頼られたりして付き合うほうがいいと思います。
人として付き合えることに、尊敬できるか、どうかなんて微々たるものです。
同じように、尊敬されてる事で自信を保つのも実に危うい事です。
尊敬される事に、酔ってしまうと人同士の付き合いを軽んじたり、尊敬される事にこだわりすぎて、尊敬されない事が、自分の人格の否定のように受けとってしまいがちです。
尊敬されているという自覚が、なんだか自分は人とは違う特別な存在のような気がして、他の人に対して横柄にもなりがちです。
さらに、他人から尊敬される事に依存してしまって、いつのまにか他人からの評価ばかり気にするようにもなります。少しでも尊敬されなかったり、無視されたら、自分が否定されたかのようになる事も。だからいつも相手の反応ばかり伺ってしまいます。
尊敬なんて、実は人間関係において微々たるものです。ちょっとあれば便利だなぁというスパイスぐらいのものでしょう。
尊敬される人になんてならなくてもいいし、尊敬される事を意識しなくてもいいです。
毎日楽しく生きて、たくさんの尊敬できないもの同士、交流を深めるのも悪くありません。
尊敬は悪いことではないので、してもされてもいいです。
そんな事気にしなくとも、人は誰かの大切な存在にもなれるし、そもそも尊敬されようが、されなさがろうか人としての価値はそんなところにないのです。
逆に尊敬されなくても、否定されても、人の価値は一ミリも下がりません。
病気になっても、障害をもってできない事が増えようとも。それで価値なんて下がりません。
尊敬されなくても、尊敬されてもどっちでもいいと思える事が、本当に自分で自分を尊重する事になるのだと思います。
そう思える事で、他の人の事を尊敬できなくても、尊敬しても関係なく、価値ある人と人として関われる事が始めてできるのだと思います。
そうは言っても、ぼくも尊敬されたい欲が完全にはなくなりません。人に認められるってやっぱり気持ちいいですもんね。
それでとってもしんどくなった時、この話を思い出してもらえると嬉しいです。尊敬されたい気持ちを少しずつ手放して行ったら楽に生きれるし、もっと周りと楽しく関われます。
尊敬されても、ダサくても、かっこ悪くても人の価値はそんなんで決まりません。
だから、もっと肩の力抜いて、自分のしたい事して、楽に生きればええんじゃないかなぁと。