ぼちぼちでええやん。

人の動きについて根っこから理解したいと思ってます。シンプルラーニング提唱者、キネステティク理事、YOUTUBE「楽な動きの学習会」ブログは癖が強い記事が多めです。

手放なすことが、手に入れること

新しいことをする人が柔軟だと思われがちですが、新しいことをしているから柔軟だとは限りません。

 

例えば自分がサルだとして、木の上にしがみついてるとします。そのしがみつきをやめないまま、他の木に移ろうとしてもできません。

 

今の木にしがみついたまま、無理やり他の木をたぐり寄せて少し離れてる木と自分の木を二本をキープすることは、宙ぶらりんでしんどいだけです。これでは何のために他の木に飛び乗ろうとしてるのか、本末転倒です。

 

今より新しい木に移りたければ、今の固執やしがみつきをやめなければいけません。逆に古い木にとどまって満足できれば、新しい木に手を伸ばさないほうが楽です。そういう生き方もありだと思います。

 

ただし今掴んでる木が燃えてるにもかかわらず、隣により過ごしやすい木があるのにずっと今の木にしがみつくことを心の底から選べる人はある種悟りを開いてるか、まったく自分の状況が見えてないかのどっちかです。

 

新しいことをするより、固執を手放すほうがよっぽど大変です。固執というのは過去の成功体験であり、今まで上手く行った方法なのです。それを手放してゼロに戻ることはかなりの恐怖だし、リスクです。

 

過去のやり方を否定することは、過去の自分を否定することにも繋がるでしょう。このやり方が間違っていたとして、それを数十年もやってきたのなら、それを一生懸命学んできたのなら人生を否定された気がして苦しくなるのは当然です。

 

セミナーの受講生でも、数十年現場で実施している介助方法や、講師として多くの人に良かれと思い伝達していた方法が、自分の身体で体験してみると、実はまずい方法だったということは多々あります。そこでどうしても、葛藤なり苦しさを生みますが、伸びる人は過去の自分に固執しない人です。

 

僕個人も今教えていることは、過去の自分を手放して教えていることです。ずっと最初から今のことを教えているわけではありません。僕は比較的手放すの得意なので、新しいことと入れ替わりやすいのです。と言ってもなかなか大変ですが。

 

セミナーでは自分の身体で学びます。体験することによって、どうやら今までよりもどうやら良いかもしれないことがある。もしくは今まで考えてこなかった全く違う関わり方がある。と知ったとき、過去のことは一度手放して学び直そうとする人は、新しい木にスッとうつれます。

 

いや、これはこれで、過去の自分のやり方は間違ってない。と固執しながら新しいことを学んでも、古い木にしがみつきながら、新しい木を掴もうとするのと同じで、逆に苦しくなってしまいます。理解や上達の差はセンスだけではなく、こう言った向き合う姿勢で大きく変わります。

 

一つ強調したいのは、それらを持っていた経験はなくなりません。ちゃんと手放すことが出来れば、その過去の経験が新しいことにさらに深みを増すことができるでしょう。これは間違いありません。だから決して無駄にはならりません。むしろ自分にとって、過去の経験があるからこそ、より深く向き合えるのだと思います。

 

最初から仕事がある人は、仕事のありがたみがわからずしんどいだけですが、仕事が全くない経験がある人ば仕事があるだけでも楽しくなれる理論と同じです。同じ仕事でも過去の状況で全く捉え方は変わります。

 

先日のブログで動きの学習とは、ランダムエラーを繰り返すことだと言いましたが、まさに同じで、仕事でもランダムエラーを安全な範囲で繰り返すことが、仕事の学習に繋がります。

 

動きの学習に必須なランダムエラーという概念 - ぼちぼちでええやん。

 

つまり過去のエラーがあるからこそ、その肉まんはよりふっくら美味しく仕上がるのです。

(過去記事読んだ人ならわかると思う笑)

 

自分自身がずっと正しくなくていいのです。言ってたことを変えても構いません。それよりも過去に拘らず、修正できるということが、逆に凄いなぁと思います。私たちは神様ではないのです。物事が全て明確にわかるなんてありえません。だから正しいことを述べるより、間違えればちゃんと修正するほうが賢いのです。

 

セミナーではベテランの人も沢山参加しますが、手放せて学んでいる人は僕もすごく尊敬します。長年やってきたことに拘らず学んでいる人はすごいなぁと心の底から思います。

 

何かを掴んだまま、新しいものは掴めません。一度その手に握ってるものを離して新しいものを掴む必要があります。中途半端に手放せば、新しいものも中途半端にしか掴めません。それで中途半端に理解して、このようなものだとわかった気になるのは1番もったいないことです。

 

固執して、手放せず、すべての物事をわかったつもりになることは危険です。握ってる手はずっと固いままです。何かを手放すことで、自然と緩むことができるのです。