不快やしんどさも体の「機能」なのです
私たちは不快感やしんどさを「嫌なもの」として扱いがちです。
実際に僕もできることならば感じたくはありません。
ではなぜ、私たちは不快感はしんどさというものを感じるのでしょう??
実は不快感もしんどさも身体に「必要だから」感じているんです。
不快感もしんどさも痛みと同じようなもので、いまの状態を教えてくれているアラームみたいなものなのです。
「心地よい動き」とか「快適な感覚」とか言葉の響は良いし、私たちの好むものではありますが、それだけでは生きれないのです。
私たちは多様な環境の中で生きています。場合により生命の危機を脅かされる事もあるかもしれません。 常に心地よい環境、快適な環境で生きていけるわけではありません。
環境に適応できず、身体が危機的な状況に陥る時に、快適だったり心地よい感覚しか感じることができなければ、心身にダメージがあることに気づかないのです。
ですから、私たちは、「この状態は私にとって不快ですよ」「しんどいですよ」
と感じる事で、身体や心がダメージを受けていることを教えてくれているのです。
それなのに、不快な感覚はダメだ。心地よい感覚がいいのだ。楽な動きがいいのだ。と心地よい感覚ばかり求め続けたら、身体はそれ以上に過酷な環境に適応することができないのです。
不快やしんどいということを我慢し続けろという話ではありません。むしろ逆です。多くの人は不快やしんどいという感覚を感じると、対処するのではなく、向き合うのではなく、我慢したり、耐えたりします。
いつしか我慢が当たり前になってしんどいことが普通になってしまいます。それはよくありません。
だから多くの人は心地よさを求める傾向にあるのですが、それではまた、同じ環境で不快なことに出会った時我慢するだけなのです。
不快を避けるためには2つの有効な方法があります。
一つは不快な状況そのものを避けて、別の動きをする場合です。つまり適応できない環境から避けて快適に過ごすことですね。
もう一つは不快な状況と向き合って、状況を変えるのではなく、身体を不快な状況に適応して、その状況そのものを快適にしてしまう場合。これは不快な環境でも自分を適応することで、快適に生存していくということですね。
後者の場合は、どうしても最初に不快・しんどいということから向き合っていく必要があります。
もう一度言いますが、我慢ではありません。我慢して、しんどさを誤魔化したり、耐えたりするのではなく、むしろそのまま不快そのものに丁寧に向き合うのです。
もちろん、過度な負担がかかる不快やしんどさは避けなければいけませんが、少しずつ丁寧に向き合う事で、その環境の中でも楽に快適に生きていける自分が見つかるのです。
私がしている学習とは、心地よい動きを覚える事ではありませんし、心地よい動きばかりを求める事ではありません。楽な動きを教えるだけではありません。
不快や、しんどさというものを、どうしたら快適に変えられるかという学習なのです。
そのためには、快適ばかりではなく、どうしても最初は不快や、しんどさを向きあう必要があります。混乱することもあるでしょう。それを乗り越えた先に、また新しい世界の心地よさがあり、快適さがあり、楽さがあるのです。
根性論で乗り切ろというそういう話ではなく、シンプルラーニングはそれを無理なく乗り切ることを学ぶことを目的とします。この学習は変化する多様な環境の中で生きていくのに必要なことだと思っています。
身体は「不快」「しんどさ」というメッセージを教えてくれています。それらをただ敵と見なして避けたり、耐えたりするのではなく、丁寧に向き合うことで、私たちはそこから大切なことを学ぶことができるのです。