ぼちぼちでええやん。

人の動きについて根っこから理解したいと思ってます。シンプルラーニング提唱者、キネステティク理事、YOUTUBE「楽な動きの学習会」ブログは癖が強い記事が多めです。

枠を作って当てはめない

急に

 

「あなたは何者ですか??」

 

と聞かれるとなんと答えるでしょう??

 

 

多くの人は自分の仕事を答えます。

 

私なら、作業療法士

看護師なら看護師

主婦なら主婦

どこかの会社の社長なら、どこどこの社長さん

 

という風に答える場合が多いです。

 

ただよく考えて見れば

こららは今していることであって

 

あなたの全てを表現しているわけではありません。一つの枠に自分を当てはめているだけです。

 

社長でも、家では尻に敷かれているかも知れないし。

主婦でも、ボクサーのチャンピオンかも知れません。

看護師や作業療法士でも違う仕事を掛け持ちしてる人もいるでしょう。

 

 

しかしながら、多くの人は

自分のしたいことを見つけ

(もしくは仕方がなく見つけ)

 

いつのまにか、その自分を

何かの枠をに当てはめて考えてしまいます。

 

僕は作業療法士なので、それを例にすると

 

作業療法士だから作業療法をしなければいけない

作業療法士らしくする

作業療法士として考える

作業療法士だから作業活動をする

作業療法士だから作業の勉強をする

 

理学療法士とて

理学療法士だかから動作分析し

物理療法をしなければいけない

理学療法士だから運動を患者にさせないといけない

 

正直、僕はあまり気にしません。

 

患者さんは「元気になること」

それを求めています。

 

作業療法はその手段でしかありません。

元気になることが作業療法であればそれは問題ないですが、

作業療法にこだわりすぎて、元気になることをおろそかにしてしまっていることがよくあります。元気になるために、作業療法という枠から入る時点で、アプローチする可能性が狭くなってます。

 

元気になれば、基本何してもいいじゃないですかと思います。

 

作業療法的なアプローチではない

作業療法らしくない

作業療法でなく、それはケアだ

作業療法でなく、それは理学療法

作業療法でなく、それは単なる遊びだ

作業療法ではなく、ただのレクリエーションだ

 

なんてよく言われがちです。

どうでもいいですが、これだけ作業療法って並ぶとなんか変な感じですね笑

 

まだまだたくさんあります。

他の職業に当てはめても同じです。

 

患者さんが元気になれば、作業療法士じゃなくても、ただの隣のおじさんでもおばちゃんでも患者を元気にできることが大切です。

 

そりゃ法律を破ったり、相手に迷惑をかけて何してもいいじゃないですよ。相手が元気になるためにするのであって、悪意があるわけではありません。

 

自分に枠をつけると、何をすればよいかわかりやすくなる反面、途端にそれ以外のことができなくなります。自分で枠を作って、動けなくなるのです。

 

作業療法の枠を超えて、違うことをするとそんなのは専門家ではない。

と言われるかも知れませんが、役に立ってなんぼの専門家です。役に立たないのなら枠から抜け出すことも必要です。

 

作業療法を批判しているわけではありません。

僕も作業療法士ですし、作業療法っていいなと思います。

免許を取って、作業療法士になったことに後悔もないです。

作業療法で元気になる人もたくさんいます。

 

だけど、今の専門性の枠で対応が全てできるのか?

というと疑問です。

多様な患者や利用者を見るには

枠を抜け出し、時に枠を壊すことも必要だと思うのです。

 

業界全体の発展を考えても、いつまでも枠の中で全て完結しているのでは、これ以上の発展は望めないでしょう。

 

発展とは常に枠を壊すことにあります。

 

今までこの枠でやっていたものに

ブレイクスルーが起きて

枠が壊れて広がり、混乱し新しい枠が作られます。

 

カッコイイ言葉で言うと

今までそれはしてはいけない、ありえないと言う中に飛び込んでこそ、パラダイムシフトが起きるんです。

 

カウンセリングが

相手の話を聞かない事が逆に効果が出て

解決しない方が、逆に自分で解決する

なんて事が逆に良かったりすることもよくあることです。

 

認知症の評価や訓練して

相手をよくしようと変えるより

今のあなたをしっかり受け取る方が

よほど周辺症状が治まったり、

 

評価しない方が

立場関係が均等になって、良い関わりができたり、より深く相手を知る事ができたり

 

プログラムを立てない方が

逆にリアルタイムで関われる

 

もっというと

解剖学から離れたことで

動きの多様性を理解できたり

 

キネステ教師が重さの概念を手放したことで

持ち上げる機能を発見したり

 

ハンドリングは

動かさないことで、逆に学ぶ状況を作り

 

正常動作から離れることで

動きを情報や関係性として理解できる

 

患者に動作指導しないことで

患者は自ら様々な環境に適応して動こうとする主体を取り戻す。

 

常にそれは、専門家としてそれは「ないわ」

と思っている中に発見があります。

 

当然「ないわ」ですから、枠の外なんです。もちろん全ての「ないわ」がいいわけではないも思います。だけど「ないわ」の中にこそ、お宝が隠れているのです。

 

既存の枠の中で、これは「あり」という作業療法を繰り返しても、発展はしていきますが、

目に見えて大きく発展することはないでしょう。

 

お互いが「素晴らしい」ことを持ち寄っても

それは枠の中で色が少し変わるだけです。

既存のものが今より大きく変わったわけでないのです。

 

それも意味あることです。

今よりも綺麗な絵が枠の中で描かれるかも知れません。

 

しかし枠の外に出た人は

もっと大きいキャンパスで自由に絵を楽しめます。

 

その絵は大きいので

枠の中からでは理解できません。

枠の外に出たとき初めて捉える事ができるのです。枠の中からだといつまでも「ないわ」としか思えないでしょう。

 

だから枠の外にいる人のことを

枠の中にいる人は何をしているか理解できないので批判します。

 

 

かつて地動説を唱えたガリレオ

天動説の人たちに当時のまっとな意見、つまり科学的根拠を元に否定され続けました。

悲しいことです。

新しい枠を受け入れられなかったのでしょう。

当時の「あるわ」という意見が組織にとって都合がよかったのです。

 

新しい発見とは、最初は一人、ないし少人数から始まります。誰も知らないから新しいのですから。そして現状に足らないものを見出してしまいます。

 

ある意味孤独なものです。信じていれば、いつまでもその枠の中で平和に過ごせたたのに、逆に反対されることもないですし。

 

しかし、気づいてしまえば、引き返せません。

全く新しい世界かあると知ってるのに、探求せずにはいれないじゃないですか。

 

仮に認めてもらえないとしても、組織から抜け出すことになっても、既存の枠を超えたアプローチが僕は必要だと思ってます。それが、また今後の文化を作るかもしれませんから。

 

枠を抜け、元気になることを突き詰めたとき、元からの作業療法の視点も知っているわけですから、新しい作業療法を大きな枠に組み合わせる事ができます。

 

でたらめにやればいいというものでありません。ただ、枠にとらわれず思考を、柔軟にして患者に関わることが、新しいブレイクスルーになるのです。

 

リハビリ業界にもブレイクスルーが必要です。

 

認定作業療法士、認定理学療法士ももちろん取得するのはいいと思います。だだそれも枠です。

 

逆に認定されない作業療法、認定されない理学療法の中に、これからの未来が隠れていると僕は思います。

枠を取り払えば、新しい世界が見えてきます。

 

しかし枠を取り払うことは枠の中にいる人からすると、とっても恐怖です。否定や、組織的な弾圧などもあるかも知れません。枠の中はもう組織が出来上がってます。

 

新しものに組織なんてないし、誰にも最初は認めてもらえないかも知れないけれど、認めてもらえないからこそ、誰もが理解できない、新いしことなのかも知れません。

 

ただ、勘違い多々もありますけどね。

それでも枠を壊し、試行錯誤する事が発展には欠かせない事だと思います。やってみないとわかりませんから。やってみて役に立つものが始めてわかります。

  

枠をたまには取り去ってみてもいいでしょう。

 

「ないわ」という中に飛び込んでもいいでしょう。

 

作業療法ができてからまだ100年もたってませんが、人間ができてから500万年前です。人は、枠よりも絶えず大きいところにあります。ですから、そもそも枠に収まる必要なんてありません。

 

次の世代とは、枠から抜け出してきた人たちが作るものだと思います。