ぼちぼちでええやん。

人の動きについて根っこから理解したいと思ってます。シンプルラーニング提唱者、キネステティク理事、YOUTUBE「楽な動きの学習会」ブログは癖が強い記事が多めです。

イメージとは感覚情報ではない

イメージとは

感覚情報をもとにして

作りあげる像なので

 

多くの場合

イメージ=形や映像

つまり視覚によるもの

となるが

実はそうではなく

 

私たちは

熱い、冷たい

も想像できるし

 

固い柔い

や質感など

触れたものも想像

つまりイメージできる

 

身体図式とかボディーイメージというものは

なぜか視覚に基づくと解説されている

ことが大きいが

 

それは完全に誤りであって

僕らのボディーイメージとは

単なる形にとどまらず

 

質感や感触なども

含まれたイメージである

 

ここで注意したいのは

イメージとは感覚情報ではない

ということだ

 

イメージは感覚情報を土台にして

構築するものだか

イメージとは感覚ではく、思考なのだ

 

つまり前のブログの話した

外側と内側の神経系で分類すると

※詳しくはこちらをどうぞ

内側と外側の神経系 - ぼちぼちでええやん。

 

外側はイメージ、つまり思考

内側は感覚システム

とイメージと感覚は全く違う

カテゴリーに分類される

 

実際に現場では

イメージと感覚を明確に分類できていないために

 

イメージを強調しすぎるあまり

外側の神経系を強く働かせて

内側の神経系、つまり感覚システム

を抑圧してしまうこともある

 

感覚とは

イメージではない

 

もちろんイメージのもとになるものだが

イメージに変換されると

それは感覚ではなくなる

 

イメージに問題がある人なら

イメージの構築を感覚に基づいて

行えばよい

 

例としては

やり方、考え方を理解することで効果がでる

演奏家やスポーツなどでは効果的だろう

 

だけど

リハビリやケアで扱ってる人は

内側の神経系が問題なことが多い

 

それはイメージの問題ではなく

感覚システムの問題を扱う必要がある

 

もちろん寝たきりの人の身体のイメージは

崩れきっている

 

だけど、それは内側の神経系が崩壊しかかってるから

外側も崩れているだけで

 

土台の内側をまず立て直すことが必須であり

土台がないまま、イメージの改善を図っても

それはかなり不自然なアプローチになる

 

ん?感覚はイメージとは違うなら

感覚とは何なのだ?

 

と思うかもしれない

 

感覚は

明確に言葉にできるものではない

 

言葉にした時点で

イメージとなり思考になるのだ

 

あえて言葉にするなら、

ここにある!

存在してる!

繋がってる!

と言葉になる前に

具体的に明確に実感するのが感覚であり

 

人はそこからあたり前のように

イメージが作られる

 

感覚からイメージまでの間は

差がほとんどないため

感覚のみを純粋に感じることは難しい

 

言葉にした時点で

意味を持った時点で

理解しようと考えた時点で

それはすでに思考なのだ

  

だけどここまできても

ピンと来ないのも

よくわかる

 

だから

もうちょい説明を付け足してみたいと思う

 

感覚とは

言ってみれば

『感』なのです

 

感と言われても、、、

ってなるかもだけど

 

明確にこの場に存在している「感」

動いている「感」

繋がっている「感」 

 

など、明確にイメージできなくても

そこにはっきりと存在してる

繋がっている

という「感」なのだ

 

立つ、座るなどの基本的な人の動きでは

イメージより感覚システムの方が重要になる。

 

例えば

肩甲骨の形が明確にイメージできなくても

肩甲骨が存在してる明確さは得られるし

肩甲骨が鎖骨と繋がってる明確さ

つまり実感は得られる

 

肩甲骨や鎖骨の実感が得られれば

明確に肩甲骨や鎖骨のイメージができなくても

無理なく動かすことができる

 

イメージしなければ無理と多くの人は思いがちだが

世の中の大半の人は

イメージなんて曖昧なものだ。

 

多くの人は

鎖骨がどんな形であれ

肩甲骨が人より大きい、もしくは小さいことを

知らなくても

 

ちゃんとコントロールできる。

それは『感』がシステムとして

機能しているからだ。

 

『感』は

具体的にイメージすることとは

全く別ものなのだ

 

もちろん感覚システムがベースに

イメージが作られるので

感覚を使うと

肩甲骨や鎖骨がイメージされやすくはなる

 

しかし

それは内側の神経系

つまり感覚システムが改善された

副産物にしかすぎない

 

多くのアプローチは

この副産物ばかりみて

本質的なことが見えなくなっている

 

動きの学習をしたいなら

深めて行きたいなら

この『感』の理解は欠かせなくなる

 

感の理解がないと、内部がどのような状態か判断できず

本当に動けない人にとっての適切な関わりが難しくなる。

(特にシンプルラーニングやキネステティクを実践や教育して行きたいなら)

 

援助者が今感覚なのか、イメージなのか

何の学習を支援しているのが

不明確になのままだと

アプローチも不明確になる

 

例えば

感覚システムを向上させたいのに

イメージばかり使っても

思考が優先され動きの学習は阻害されるだろうし

 

逆に

感覚システムが安定した上で

イメージが豊かになれば

色んな動きが多様になるだろう

 

動きには理屈で通じる部分と

理屈で通じない部分がある

 

それを解決するのが

『感』なのだ

 

もちろん感覚というものが

理解するのは難しいのもわかる

 

言葉で理解したところ

それは所詮

感覚ってこんなものだろうという

イメージなのだから

 

困ったことに

思考が優先している人は

感というものがわかったつもりになってしまう。

 

きっとこのブログを読んで

感に対して学習をしてないのに

わかったつもりになっている人がいれば

それはわかっていないのだ。

 

はっきり言い切ってもいい。

 

ちなみに感覚とは

圧を感じることでも

緊張を感じる

というものではなく

それはすでに理解した時点でイメージ化されているから

動きの感覚=圧と緊張という話をしている訳ではない。

それらは厳密に言うと

ボディーイメージの一種なのだ。

 

「感」はなにかと

イメージと混同しやすい。

 

感覚をすぐにイメージや言葉にするのではなく

感覚を感覚として扱うスキルを磨くこと

 

それができて初めて感覚システムを扱うことができる

また感覚システムという土台が安定しているからこそ

より柔軟な思考やイメージができるようになる。

 

もちろんすぐに

明確にわかるものではないが

体験し、経験を積むと少しずつ 

感覚という本当の顔が見えてくる

 

感覚はyoutube

文書で理解できるものではない

体感することが必要なのだ

 

また体感してもすぐに言葉にするのではなく

自分の中に寝かせておくことが大切だ。

 

なんでも言葉にすると

それが全てのように思い

すぐにわかったつもりになり

視野を狭くしてしまう

 

そしていつの間にか

感覚が理解できなくなってしまう

感覚がイメージ化されて理解されてしまうのだ

 

大事なものは

いつも言葉の内側にあるのだ

 

「感」とは言葉でない理解なのだから。

 

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