ぼちぼちでええやん。

人の動きについて根っこから理解したいと思ってます。シンプルラーニング提唱者、キネステティク理事、YOUTUBE「楽な動きの学習会」ブログは癖が強い記事が多めです。

同じ結果でも、プロセスが違うと天と地ほどの差があります

今回は結果とプロセスの話です。

 

例えばあなたは乾いた地面を濡らしたいとしましょう。

 

雨で濡れるのか

地面に水をまいて濡らすのか

 

結果は同じ地面が濡れるだけども、プロセスが全く違います。

 

結果が同じような現象でも、その過程は全く違うものっていうのは、現実にはよくある話です。

 

同じように動きやすくなった結果だけをみて自分で動きを発見し変化したのか、人に変化させてもらったのか。同じ楽に動けてもプロセスが全く違うわけです。

 

どっちも楽に動けるようになったからいいじゃないか。と思われるかもしれませんが

 

人に変化させてもらうと、今度も人に変化してもらうことを期待し、自分の反応よりも相手の変化させたいという反応を優先しなければいけなくなります。常に他人に期待し、追い求めます。当然いつもその人はいないので、日常の中で自分で学ぶということはしなくなります。

 

自分で探求し発見することで変化すると、相手の反応よりも、自分の反応を尊重できるようになります。結果他人に期待するのではなく、今の物事と向きあい、自分の毎日の中に変化をもたらすこともできるようになります。

 

一見、同じ楽になった。

 

だけどプロセスが違うと、全く別の向き合い方、生き方になるのです。つまり大切なのは結果ではなくプロセスなのです。結果だけをみて、これは私にはいいものだ!このアプローチは正解だ!と判断するのは、あまりにも安易なのです。

 

結果に本質はありません。本質はプロセスにあります。結果を追いかけても、そこに答えはありません。もしあなたが変化しないのならば、または今の変化に納得できないのなら、常に結果だけを求めているからかもしれません。

 

結果だけを見てると、プロセスを見なくなるので極端な思考になりがちです。

 

例えば

お祈りしたから治ったんだ

エネルギーを注いでもらったんた

このお札を買ったから

このツボを買ったから

この集団に参加してるから

この民間療法をしてるから

などです。

 

結果だけを見てる人は、プロセスを疎かにします。プロセスを繊細に観察することを放棄することは、人生を他人に委ねること、他人にコントロールされることと同じことなのです。一見大げさに言ってるように思えるかもしれません。

 

大げさな話ではありません。人を騙す時、結果を見せて、プロセスをうやむやにすることで、人を操ろうとします。霊感商法は最もたる例でしょう。10人中2人でも、たまたま結果が良かった理由を霊のせいにすれば、その人は霊のおかげだと信じ色んなものを買うようになります。多くはこれをすれば『救われる』『儲かる』『改善する』など結果だけを信じ込ませるのです。結果が良かったとしても、その理由が正しいとは限りません。むしろプロセスを疎かにした理由はだいたい間違えています。

 

人は自分の中で学ぶ力が明確にあります。しかし他人に変えられて変化したという思い込みは、ほんとは自分で発見したこと、自分で変化していたことをわからなくすることもあります。

 

これ声に大にして言いたいですが、他人に変えられてたまたま上手くいったものは、変化させられたのではなく、あなたが自ら変化してるのです!!アプローチが素晴らしいのではなく、あなた自身の学ぶ力が素晴らしいのです。例え祈られて変化したなら、祈られなくても変化できるし、ツボやお札を買わなくても救われるのです。誰かに触られてよくなったのなら、触られなくても良くなるのです。

 

僕もセラピストとして活動していますが、一番してはいけないのは、自分のおかげで変わったと信じ込ませることです。そうすればなんでも言う事を聞いてくれて楽ですが、主体性を奪うことになるのです。セラピストして大切なのは、あなたは自ら学べるんだということを明確に体験してもらうことで、そのお手伝いをしているのです。主役はセラピストではなく、いつも相手です。セラピストは主役を食う脇役ではなく、主役を立てる脇役に徹することです。信者にしその人から人生を奪うのでないのです。もちろん信頼関係は必要です。

 

プロセスの話に戻しましょう。プロセスが変われば自然と結果が変わります。逆に結果だけを変えても中身はほとんど変わってないのです。

 

人に変えてもらうというのは、いつまで他人のプロセスであり、自分のプロセスではなくなるのです。

 

シンプルラーニングは人の動きの支援をしますが、人は自ら学習する能力があるという大前提のもと、相手の気づきや発見を手伝い本人自ら学習することをサポートする概念です。

 

楽に立たせられるのではなく

本人自ら楽に立つことをサポートする

 

楽に歩かせるのではなく

本人が楽に歩く探求をするのをサポートする

 

楽に腕を上げさせるのではなく

本人が楽に腕を上げ方を見つけられるようにサポートします。

 

そこに正しさを一方的に教えることはありません。いくら他人が正しく思っても、最終的自分が検証し、判断するしかないのです。

 

そのあたりはここに詳細に書いてます。よろしければご覧ください。

あなたは別の何者にもなれない - ぼちぼちでええやん。

 

シンプルラーニングに矯正や強制はありません。むしろ自分の中で失われたプロセスをもう一度再構成させていくためのものです。先程も言ったようにプロセスが豊になれば、自然と結果も豊かになります。

 

その人自身が自ら気づき、発見できることを手伝うのであって、いくら楽に動けるテクニックで相手を動かしたしても、それはシンプルラーニングで教えてることではないのです。

 

なぜなら、楽に動かされた時点で、その人の人生からプロセスを奪ってるのですから。小さな正解の押し付けであっても、あなたは学べないという小さな烙印を押しているのです。それで本当に動きが楽になったしても、烙印は残り積み重なるのです。無理やり矯正的に勉強させれてテストは良かったど、何が大事なものを失った子供みたいなものです。

 

そう考えると、動きの学習とは生き方の学習になります。自分で発見し、自分で気づいていけばいいんだ。色んな思い込みを手放し、烙印を消し、もう一度人生と向きあうプロセスなのです。

 

結果を出したいのは、僕もよくわかります。相手も結果を望んでいますし。しかし本当は何をしたいのか、援助者も相手と関わるプロセスを詳細に見つめていく必要があるでしょう。その人の人生を奪っていないか、常に詳細に見つめていかなければいつの間にか、本質から外れてしまいます。

 

今同じ結果だとしてもプロセス次第で予後は全く変わるのですから。

 

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